『巣鴨日記 続 笹川良一と東京裁判 1』
笹川良一・著/伊藤隆・編/中央公論新社2007年
「はじめに」 下「」引用。
「人の一生には「毀誉褒貶(きよほうへん)」が付きまとう。笹川良一の場合、「毀誉褒貶」相半ばするという多くの人と異なって、「毀」と「貶」の渦の中にあったといえよう。-略-」
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「鳩山一郎」
--日記にも登場する……。
「岸信介」 下「」引用。
「『巣鴨の表情』の中で、笹川は岸について、「ふとした縁から僕は岸君と識(し)り会って、御互いにブルドック的性格が好き合ったのか東條内閣の閣僚中では、重光氏に次ぐ親友〔交〕のある間がらであった」「重光氏には兄事してゐたが、岸君には別に遠慮する関係でもなかったので、却って裃(かみしも)を着ない話は岸君の方が多かった」と書いている。」
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「徳富蘆花」 下「」引用。
「少しこれらの人々と異なるが、徳富蘆花も笹川と関係のあった一人である。検察局に提出の人物評では「徳富は日本第一の文豪にして、東条の事でも何人の事でも平気で耳〔数字判読不能〕書く事にて国民に人気よいが、金をほしがると噂」と必ずしも好意的ではない。しかし、徳富蘆花記念塩崎財団にははがきも含めて八通の笹川の書信がある。-略-」
読売、共産……。下「」引用。
「今日の用ミリに、西尾末広君は僕と腐れ縁があるから立候補を遠慮せよとか書いていたが、何の腐れ縁だ。東条内閣に共に大衆の見方となつて反対したことが何がいけない。西尾氏位立派なものは共産党に一人もいない」云々-略-」
モーターボート……。下「」引用。
「香川県モーターボート競走会設立準備委員会が発足したのは、昭和二十六年十二月であったが、それに先だって連合会から矢次一夫と板倉弥三郎とが視察にきたというううから、笹川の代理人ともいうべき板倉が矢次ぎとともに連合会の人間として動いていたことを知り得る。この後、笹川が追放解除の後、昭和二十八年に連合会の副会長になり、翌二十九年会長代理、そして三十年には会長に就任した。その過程で矢次と対立し、矢次が連合会から去ることになり、二人の関係は完全に失われたという。」
「安岡正篤」との交流。下「」引用。
「笹川はIPSに提出した人物評に、安岡について「安岡正篤は支那の学者にして全国に幾万かの信者がゐる。極右でも何でもない。支那より日本軍の撤退を叫んだり、皇軍を蝗軍と書いたりして憲兵ににらまれ、東条にも大反対、戦時刑法にも大反対、正しき、併も度胸のある信頼出来る学者でもある」と書いている。」
阿片の「里見甫」との交流も書かれてあった。
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目次
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笹川良一・著/伊藤隆・編/中央公論新社2007年
「はじめに」 下「」引用。
「人の一生には「毀誉褒貶(きよほうへん)」が付きまとう。笹川良一の場合、「毀誉褒貶」相半ばするという多くの人と異なって、「毀」と「貶」の渦の中にあったといえよう。-略-」
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「鳩山一郎」
--日記にも登場する……。
「岸信介」 下「」引用。
「『巣鴨の表情』の中で、笹川は岸について、「ふとした縁から僕は岸君と識(し)り会って、御互いにブルドック的性格が好き合ったのか東條内閣の閣僚中では、重光氏に次ぐ親友〔交〕のある間がらであった」「重光氏には兄事してゐたが、岸君には別に遠慮する関係でもなかったので、却って裃(かみしも)を着ない話は岸君の方が多かった」と書いている。」
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「徳富蘆花」 下「」引用。
「少しこれらの人々と異なるが、徳富蘆花も笹川と関係のあった一人である。検察局に提出の人物評では「徳富は日本第一の文豪にして、東条の事でも何人の事でも平気で耳〔数字判読不能〕書く事にて国民に人気よいが、金をほしがると噂」と必ずしも好意的ではない。しかし、徳富蘆花記念塩崎財団にははがきも含めて八通の笹川の書信がある。-略-」
読売、共産……。下「」引用。
「今日の用ミリに、西尾末広君は僕と腐れ縁があるから立候補を遠慮せよとか書いていたが、何の腐れ縁だ。東条内閣に共に大衆の見方となつて反対したことが何がいけない。西尾氏位立派なものは共産党に一人もいない」云々-略-」
モーターボート……。下「」引用。
「香川県モーターボート競走会設立準備委員会が発足したのは、昭和二十六年十二月であったが、それに先だって連合会から矢次一夫と板倉弥三郎とが視察にきたというううから、笹川の代理人ともいうべき板倉が矢次ぎとともに連合会の人間として動いていたことを知り得る。この後、笹川が追放解除の後、昭和二十八年に連合会の副会長になり、翌二十九年会長代理、そして三十年には会長に就任した。その過程で矢次と対立し、矢次が連合会から去ることになり、二人の関係は完全に失われたという。」
「安岡正篤」との交流。下「」引用。
「笹川はIPSに提出した人物評に、安岡について「安岡正篤は支那の学者にして全国に幾万かの信者がゐる。極右でも何でもない。支那より日本軍の撤退を叫んだり、皇軍を蝗軍と書いたりして憲兵ににらまれ、東条にも大反対、戦時刑法にも大反対、正しき、併も度胸のある信頼出来る学者でもある」と書いている。」
阿片の「里見甫」との交流も書かれてあった。
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