磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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あなたの手で平和を!-31のメッセージ- peace is possible

2009年04月08日 | 読書日記など
『あなたの手で平和を!-31のメッセージ- peace is possible』
   フレドリック・ヘッファメール(編)/
     大庭里美、阿部純子(訳)/日本評論社2005年

ハワード・ジンの名前があるので手にした本です。



■目 次■

日本語版序文 「始める」ことが「奇跡」を起こす 高橋哲哉  I
編者序文 流れは変えられる……
   フレドリック・ヘッファメール  XII
大人に平和を教える子どもたち
   セシリオ・アドルナ  2
人道的世界を築く新外交
   ロイド・アクスワージ、クヌート・フォルベク  9
人類の敵 リー・バトラー  13
紛争解決のための一二の技術
   ヘレナ・コーネリアス、ステラ・コーネリアス  22
「ソ連が金でやらせたこと」の真相
   デイビット・コートライト  28
人権と平和 ダライ・ラマ  34
法廷にもちこまれた核兵器 ケイト・デュース  42
わが世界にこの身を捧ぐ ダニエル・エルズバーグ  52
モスクワへの平和行進 チュール・エルスター  60
権力との直接対話 シラ・エルワージー  69
人道的統治への道 リチャード・フォーク  81
思想の力 ディートリッヒ・フィッシャー  90
今こそ戦争を放棄するとき! ミハイル・ゴルバチョフ  96
私たちは観客ではない ヨースタイン・ゴルデル  101
共通の場を求めて フレドリック・S・ヘッファメール  111
紛争解決に防火の思想を マルガリータ・インゲルスタム  119
地球は一つの生命体 ジョアンナ・メイシー  123
ようこそ、監獄島へ! ネルソン・マンデラ  132
武器を持たないボディーガード メアリー・マセソン  139
核実験場を閉鎖したカザフスタンの人びと
   ロイス・アン・ニコライ、ユーリ・クイディン  146
国際刑事裁判所ができるまで ウィリアム・R・ペイス  154
パグウォッシュ会議と科学者の社会的責任
   ジョセフ・ロートブラット  162
困難だった平和への道 シェイク・ハシナ  169
対話が奇跡を生む アリスター・スパークス  178
映画じゃなかった デイビット・ティンカー著  187
私はみんなのスパイ モルデハイ・バヌヌ  202
核軍縮に向けてのロビー活動 アラン・ウェア  207
ハーグ平和アピール コーラ・ワイス  214
地雷の全面禁止を求めて ジョディ・ウィリアムズ  220
希望を持ちつづけよう ハワード・ジン  229
昨日の敵 ウィリアム・N・ブラウン  243


アパルトヘイトと戦ったマンデラがIRAに対する英国政府にたいしてのコメント。下「」引用。

「〈武力と暴力が氾濫し、不条理で、解決不能に思われ始めたら、考えられないことを考えなさい。言いにくいことを口に出しなさい。思い切って枠を踏み越えて、対話をしなさい、奇跡は起こり得るものです。〉」

唯一と核……。下「」引用。

「私たちは宇宙でただ一つの緑の惑星に住んでいます。私たちを魅了するその美は永遠で、変化に満ちた自然とさまざまな生命にあふれています。人類の長い歴史、社会、そして、文化、音楽、舞踊、絵画、哲学、料理、福祉、科学、建設、工芸の成果を破壊したり、傷つけたりする権利は、どの時代にもありません。歴史のどこかで、技術開発が方向を誤り、それがイデオロギー対立と結びついて、地球の生命の奇跡を終わらせるようなことがあったとしたら、それは、調和のとれた未来への展望を欠いた無分別と言う以外ないでしょう。」

「人権と平和」ダライ・ラマ。下「」引用。

「私は人権の専門家ではありません。しかし私のような仏教僧にとって、一人ひとりの人間が持つ権利は大変尊く、大切なものです。-略-」

ならば、どうしてチベットに農奴制があったのでしょうか?

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ホロコースト百回分……。下「」引用。

「反撃として、米国の核先制攻撃が行われた場合の総死者数は、統合参謀本部の推定では六億人でした。ホロコーストの百回分にあたります。」

クエーカーのバーサ・フォン・スットナー。下「」引用。

「私たちの行進は、他の活動を活気づけました。私たちより前の活動に、私たちが活気づけられたのと同じように。今日の私たちの取り組みがあるのは、一八世紀初頭のヨーロッパやアメリカにおける小さな平和団体、とりわけフレンド派(クエーカー)のおかげです。バーサ フォン スットナーのおかげなのです。彼女は一八八九年に『武器を下ろせ』を著し、その本は四○か国語以上に翻訳されて、世界に衝撃を与えました(今読んでもこの本はすばらしい本です)。そしてまた、彼女はその二年後、ローマで開かれた平和会議において、「国際平和ビューローIPB」の設立を援助したのです。このビューローはジュネーブに事務所をおく組織で、今日では世界中の一八六の平和団体で構成されています。」

平和学の創始者は……。下「」引用。

「平和学の創始者として世界中で知られるノルウェーのヨハン ガルトゥング博士は、最初の国際平和研究所をオスロに発足させました。一九五五九年のことです。博士と同僚たちは世界中の四○○にも及ぶ研究機関に、研究所で出版した論文を送りました。その中にはモスクワの世界経済と国際関係研究所IMEMOも入っていました。多くの機関から返礼が届きましたが、IMEMOからは何の音さたもありませんでした。まるですべての論文があとかたもなくブラックホールへ吸い込まれてしまったようでした。返事がないことにもくじけず、一九七○年までの一○年間、オスロの研究者たちは安全保障と開発に関する平和への新しい道についての論文を、根気強くIMEMOに送りつづけました。-略-」

米国とロシアが世界を危険にしていく……。下「」引用。

「この冷戦時代のなごりを長く維持してゆくのは危険な落とし穴です。米国とロシアが断固とした核軍縮の推進にいつまでも踏み切れないでいると、他への悪い手本を示すことになることを、私たちはインド・パキスタン両国にはっきりと申しわたさなければなりません。」

「国際刑事裁判所ができるまで--声なき声を代弁して」ウィリアム R ペイス・著。下「」引用。

「眼鏡をかけた小柄な老人、米国人のベン フェレンズは世界一五○か国から集まった代表を前に演壇を登りました。フェレンズは弁護士で、元米国政府代表でしたが、彼の話は、つい前に話した政府代表のような、法律家らしい、平坦な調子ではなく、感動と情熱にあふれる声で次のように始まりました。「私は語ることのできない人たち、恐るべき行為の犠牲者の声なき声を語るためにローマにやってきました。私はここに来るように命じたのは、私の心です。」

「パグウォッシュ会議と科学者の社会的責任」ジョセフ・ロートブラット・著。下「」引用。

「多くの科学者は自ら偽って象牙の塔に閉じこもりつづけました。彼らは格言を隠れみのにして自分達の責任から逃れようとしました。曰く、「科学のための科学」、「科学は政治と無縁」「科学は誤用の責任は問われない」「科学は単なる技術労働者」。
 これはすべて誤りであり、錯覚でした。もちろん、過去においてそうであったように、今日においてもこれは真実ではありません。それでもまだ、多くの科学者がこれらの格言をよりどころに科学の無干渉主義を主張しています。とはいえ、これを捨て去る人たちも増えてきました。-略-」

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「希望を持ちつづけよう」ハワード・ジン(著)。下「」引用。

「それからの数年間、私は国のあちこちから招かれて講演をして過ごしましたが、その中で心を打たれたことがありました。どんな小さな町でも、またどこの州でも、病人や飢えた人びと、人種差別の被害者、戦争犠牲者などに手を差し伸べる一握りの男女の集団があったのです。その人たちは、どんなさやかな行為であろうと、世界を変えられるという希望を抱いて何かの行動をしていたのです。どこにいても私はそんな人びとに出会いました。そしてそんな一握りの人びとの後ろには、因習にとらわれない、開かれた心を持つ人びとが何百人、何千人といるように思われました。
 しかし、たいていの場合、彼らあるいは彼女らはお互いにの存在を知らないことが多く、それゆえに根気強くつづけてはいますが、その行為は、巨石を永遠に山の上まで押し上げつづけなければならないあのシジフォスのように、絶望的な忍耐によってなされるので、私はつとめて、それらの集団に、彼らが決して孤立しているわけではないのだと、伝えるようにしました。全国的な運動がないことに落胆している人びとの存在そのものが、全国的な運動の到来の可能性を示していました。-略-」









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