『ちくまプリマーブックス44 最後の手紙』
立川昭二・著/筑摩書房1990年
原民喜、鈴木実のことが取上げられていたので、原爆関連のリストにあると思います。これで児童図書のリストです、読んでみて大人の本かと思いましたが……。
■目次・省略あり■
はじめに 3
時代の鼓動
正岡子規 10
藤村操 16
石川啄木 21
乃木希典 30
夏目漱石 36
松井須磨子 43
森鴎外 50
有島武郎 57
彷徨する魂
芥川龍之介 64
野口英世 70
宮沢賢治 76
竹久夢二 82
寺田寅彦 88
立原道造 96
種田山頭火 104
河上肇 111
山河はるか
佐々木清美 120
佐々木八郎 139
竹内浩三 146
鈴木実 153
小西貞明 161
山本幡男 168
繁栄の陰で
原民喜 176
樺美智子 185
高野悦子 194
岡真史 200
西川喜作 205
亀田千春 212
山野井道子 217
土岐雄三 223
おわりに Nさんからの手紙 228
出典と参考図書 233
斎藤茂吉は芥川竜之介の医師でもあったようだ……。下「」引用。
「この日、芥川家に駆けつけた多くの人のなかに、この年青山脳病院の院長になったばかりの斎藤茂吉がいた。茂吉にとっては芥川は文学上の友人であるとともに、神経衰弱に悩む彼の依頼を受け睡眠薬を投薬していた患者でもあった。-略-茂吉が投与していた睡眠薬で自殺したのではないかと考え、驚愕は大きかった。-略-」
宇野浩二という文学者も……。下「」引用。
「芥川の親友の宇野浩二は、芥川に紹介された斎藤茂吉の世話で滝野川の精神病院に入院していたが、この三日前の二十一日のことを、のちに次のように回想している(宇野浩二『芥川龍之介』)。」
「佐々木八郎」は宮沢賢治を……。下「」引用。
「……我々がただ、日本人であり、日本人としての主張にのみ徹するならば、我々は敵米英を憎みつくさねばならないだろう。しかし、僕の気持はもっとヒューマニスチックなもの、宮沢賢治の烏と同じようなものなのだ。憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ。正直な所、軍の指揮官たちの言う事は単なる民衆煽動のための空念仏(からねんぶつ)としか響かないのだ。そして正しいものには常に味方をしたい。-略-」
「竹内浩三」も……。下「」引用。
「賢治のことば「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を記している。そんな彼は、低く呟く。「戦争ハウツクシクない。地獄デアル。地獄モ絵ニカクトウツクシイ。」(四月十四日)-略-」
地獄は地獄……。
地獄をそうでないものにして書くのは、ペテン師では……。
鈴木実は被爆した……。下「」引用。
「鈴木実が、この両親宛の遺言状を書いたのは、広島の大野陸軍病院のベッドであった。-略-そして、昭和二十年八月六日、広島で原子爆弾に遭い、「ソノタメニ顔面、背中、左腕ヲ火傷」し、病院に収容されて手当を受けたが、ついにこの日、この遺言状を書いた三十分後に、息を引き取った。二十歳であった。-略-」
そして……。下「」引用。
「東大生鈴木実は、この放送(*玉音放送)の十日あとに死んだ。家族は、終戦の混乱で彼の安否や居所を知ることができなかったのであろうか。「国家」が戦争を止めても、一人ひとりの日本人にとっては、それから何日も何十日も、いや何年も何十年も、あの「戦争」は終わることがなかったのである。」
原民喜……。下「」引用。
「原民喜の部屋には、遺書のほかに、『心願の国』という最後の作品が残されていた。そこには、次のような文章が見られる。この文章を書いた「線路」に、彼が自分のからだそのものを横たえるのは、このすぐあとのことなのである。-略-」
index
もくじ
Index
立川昭二・著/筑摩書房1990年
原民喜、鈴木実のことが取上げられていたので、原爆関連のリストにあると思います。これで児童図書のリストです、読んでみて大人の本かと思いましたが……。
■目次・省略あり■
はじめに 3
時代の鼓動
正岡子規 10
藤村操 16
石川啄木 21
乃木希典 30
夏目漱石 36
松井須磨子 43
森鴎外 50
有島武郎 57
彷徨する魂
芥川龍之介 64
野口英世 70
宮沢賢治 76
竹久夢二 82
寺田寅彦 88
立原道造 96
種田山頭火 104
河上肇 111
山河はるか
佐々木清美 120
佐々木八郎 139
竹内浩三 146
鈴木実 153
小西貞明 161
山本幡男 168
繁栄の陰で
原民喜 176
樺美智子 185
高野悦子 194
岡真史 200
西川喜作 205
亀田千春 212
山野井道子 217
土岐雄三 223
おわりに Nさんからの手紙 228
出典と参考図書 233
斎藤茂吉は芥川竜之介の医師でもあったようだ……。下「」引用。
「この日、芥川家に駆けつけた多くの人のなかに、この年青山脳病院の院長になったばかりの斎藤茂吉がいた。茂吉にとっては芥川は文学上の友人であるとともに、神経衰弱に悩む彼の依頼を受け睡眠薬を投薬していた患者でもあった。-略-茂吉が投与していた睡眠薬で自殺したのではないかと考え、驚愕は大きかった。-略-」
宇野浩二という文学者も……。下「」引用。
「芥川の親友の宇野浩二は、芥川に紹介された斎藤茂吉の世話で滝野川の精神病院に入院していたが、この三日前の二十一日のことを、のちに次のように回想している(宇野浩二『芥川龍之介』)。」
「佐々木八郎」は宮沢賢治を……。下「」引用。
「……我々がただ、日本人であり、日本人としての主張にのみ徹するならば、我々は敵米英を憎みつくさねばならないだろう。しかし、僕の気持はもっとヒューマニスチックなもの、宮沢賢治の烏と同じようなものなのだ。憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ。正直な所、軍の指揮官たちの言う事は単なる民衆煽動のための空念仏(からねんぶつ)としか響かないのだ。そして正しいものには常に味方をしたい。-略-」
「竹内浩三」も……。下「」引用。
「賢治のことば「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を記している。そんな彼は、低く呟く。「戦争ハウツクシクない。地獄デアル。地獄モ絵ニカクトウツクシイ。」(四月十四日)-略-」
地獄は地獄……。
地獄をそうでないものにして書くのは、ペテン師では……。
鈴木実は被爆した……。下「」引用。
「鈴木実が、この両親宛の遺言状を書いたのは、広島の大野陸軍病院のベッドであった。-略-そして、昭和二十年八月六日、広島で原子爆弾に遭い、「ソノタメニ顔面、背中、左腕ヲ火傷」し、病院に収容されて手当を受けたが、ついにこの日、この遺言状を書いた三十分後に、息を引き取った。二十歳であった。-略-」
そして……。下「」引用。
「東大生鈴木実は、この放送(*玉音放送)の十日あとに死んだ。家族は、終戦の混乱で彼の安否や居所を知ることができなかったのであろうか。「国家」が戦争を止めても、一人ひとりの日本人にとっては、それから何日も何十日も、いや何年も何十年も、あの「戦争」は終わることがなかったのである。」
原民喜……。下「」引用。
「原民喜の部屋には、遺書のほかに、『心願の国』という最後の作品が残されていた。そこには、次のような文章が見られる。この文章を書いた「線路」に、彼が自分のからだそのものを横たえるのは、このすぐあとのことなのである。-略-」
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もくじ
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