磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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オモニの贈り物

2008年05月03日 | 読書日記など
『オモニの贈り物』
   張福順・著/潮出版社1999年3刷

著者は52歳から夜間中学に編入して、広島大を出て県立高校の非常勤講師となったという。



フェニックスに励まされたという。下「」引用。

「ヒロシマは、廃墟の中から、平和の発信地として不死鳥のように蘇ったのです。
 いまは市民の公園として生まれ変わった広島大学の旧キャンパス。その正門につづく道には六本のフェニックスが植えられています。これらのフェニックスは、不死鳥の別名どおり、広島の復興へのエネルギーの象徴でもあったのです。
 私は広島大学に、五七歳から六二歳までの間、在学していました。
 若者たちといっしょになって、同じカリキュラムを学んでいくは、私にとっては大変なことでした。ときには、本当に卒業できるのかなと、弱気になることもありました。そんなとき、私は、気がつくと、一人、正門のフェニックスをながめていたものでした。」

夫がアルコール依存症で大変だったという。下「」引用。

「日本の帝国主義植民地下の朝鮮半島を後に、職を求めて内地に移ってきた両親の元で生れた在日二世の私は、ゆえなき差別、貧困、原爆の二次被爆による体の変調、さらには夫のアルコール依存症など、ありとあらゆる苦悩を経験してきました。」

--皇民化政策で「張本栄子」に。下「」引用。

「みんな、自分の姓を残そうと、金(キム)さんは「金本」や「金山」などという姓にしたり、白(ペツ)さんは白川という姓にしたりしていったのです。なかには、協和会の人や会社の上司から、勝手に姓をつけられた人もいます。
 わが家は、張本という姓になりました。母も金ではなく、日本式に夫である父の新しい姓である張本を名乗ることになったのです。父や母にとっては、非常に残念なことであり、とてもにがい思いで、そのことを受け止めたのだろうと思います。」

「この子は、本当にええ子」ですと母が言ったので、学校の先生が「栄子」にしたという……。

教育により、皇国少女になったという。下「」引用。

「皇国少女だった私は、心の底から、「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」というスローガンを信じ、日本は神の国だ、最後には神風が吹いて、鬼畜米英は敗れていくと信じていたのですから。それに、原爆で廃墟となった広島市内から帰ってきてからは、アメリカ人のイワシの腐ったような青い目(もちろん、いまは澄んできれいなブルーの目だと思っていますが、当時は教育の影響からそんなふうにしか思えなかったのです)を-略-」

入院してはじめて二次被爆ということを知ったという。

創価学会も心の支えのようです……。

公明党はこんな人たちのこと忘れてませんか?







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