磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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現代教養文庫863 わが一九四五年-青春の記録1-

2007年12月18日 | 読書日記など
『現代教養文庫863 わが一九四五年-青春の記録1-』
    小川和佑・編/社会思想社1975年

アンソロジーだそうで、いろいろな作家の小説が掲載されていました。別に一九四五年に限ったことではないようです。小説の前に、編者の文章がありました。




敗戦の時にも、いろいろな人がいたそうです。下「」引用。

「私の周囲の少年たち仲間のほとんどが、敗戦の悲憤、痛痕という激情から遠くかけ離れた場所にいた。グラビア写真に見る皇居前広場にひれ伏して慟哭する人々の姿を私は決して偽りとは思ってはいないが、それは真実トータルな常民の情感だったろうか。
 少しでも利用価値のありそうなものは、激しい争いの末、片端から搬出されていった。証言していい。この略奪者たちは決して慟哭などしなかった。
 九月、二学期がはじまって、「一億総懺悔」という言葉が、提唱された。少年たちは、懺悔よりも、新しい時代に対応することに追われていた。」

それはそうだろうなあーと思いました。

中山士朗の「霧の中」において、重要なこと。下「」引用。

「戦後、ケロイドを顔に残した福田啓一が天皇の行幸を彼の中学に迎える章である。戦中の移民二世としての差別の屈辱、被爆。十四歳の彼には、それらの現実の重圧を支えることをすら見失っている。歴史と時代のなかに声もなく沈んだ無名の十四歳。私たちはここに描かれる現実から、決して眼をそらしてはならぬ。」

なぜ重要なのか?
読んでいて理解できませんでした。

中山士朗の「雲の翳」では、二重国籍の少年。
憲法はアメリカの国籍を放棄することを誓わせ、署名捺印させた……。
アメリカのスパイかと疑っていたという。
福田啓一の中学校に、天皇陛下が来校。
バスケットを見学される。
陛下の方へ行かないか、緊張したという。

これは雑誌にも掲載された作品です。

季刊審美 第十三号

共産党シンパの少年(中川信吉)は、学校から登校を止められたという。

そして、中川少年は差別発言をする。下「」引用。

「天皇家というのは、劣勢遺伝子の見本のようなもんだぞ。」

新しい差別ならよく、古いのは悪いそうです。
--どちらも悪いとボクは思います……。


ヨーコ・オノの名前が出てきました。下「」引用。

「僕は突然、ヨーコ・オノも「まし」の仮定法を身体のどこかに残しながら、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの喧嘩に荷担しているのだろうかと思っておかしかった。」

たぶん、この文と現実のヨーコさんは違うような気がボクにはします……。






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