磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマの記録 被爆30年写真集』

2006年07月31日 | 読書日記など
『ヒロシマの記録 被爆30年写真集』
    中国新聞社s50年

いろいろなことをレイアウトをこらして、
伝えている写真集です。



原爆に対する福祉で仏教やキリスト教の方は活動されていますが、神道の方は聞かないなあーと思いました。

神社に関する記事と写真がありました。(s20年)下「」引用。

「荒涼として焼け野原の中心部に胡子神社が再建されたのは十一月十八日。十九日、二十日の両日には懐かしいえびす祭りと復興祈願祭がとり行なわれた。破れ太鼓にまん幕、竹は田舎からとり寄せたにわか造営ながら、あまりにも早い復興に市民は「さすが商売の神様」と驚いたりあきれたり、隣の鉄骨の塊は小田政呉服店倉庫の残がい。左は福屋百貨店である。(10月18日・林寿麿氏撮影)」



ヘレン・ケラーの来日の写真と記事がありました(s23年)。



上の写真はs24年のゼノさんの記事にあったものです。下「」引用。

「「坊やいくつ。りこうそうだが学校は…」
「ピカドンで両親もたった一人の弟も死んだよ。ことし十五じゃが学校なんか行かれん」
「いつまでもクツみがきしていては偉くならんよ。しっかり勉強しないと…」
「小学校四年までいったよ。勉強はしたいが、まず食うことからだよ」
「ルンペンはやめておじさんのところへ来なさい。たくさんのお友達もいるし、神様のお恵みも必ずある」
厳寒の夜、長崎からのヒゲの神父が広島へやってきた。
駅頭に店?を出す原爆孤児を一人一人たずねて説得するゼノ・ゼブロフスキー神父。のちゼノ少年牧場(広島県沼隈郡沼隈町)をつくる。(1月8日)」


昭和24年に世界平和を願って断食する日本人女性がおられたようです。


日本ペンクラブ“広島の会”開く(s25年)という記事、宣言も発表されたようです。

日本のゴッホといわれる山下清が昭和31年に広島を訪問。下「」引用。




「放浪の画家、慰霊碑描く
暑い夏、山下清さんが親がわりの式場隆三郎博士(左)とともに原爆慰霊碑を訪れた。「建物はウソをかいはいけないから、どういうものかむずかしいな」「あの中に子どもが入って遊んだらしかられるかな。大人だったらしかられるね」とつぶやきながら慰霊碑を写していく。「何万人ものひとが一つの墓では感じが弱いな、墓はひとりが一つずつとどちらがいいかね。感じが強いからね」。(7月11日)」


一人ずつの墓を、平和公園につくったとした合成写真でも作成したら、敷地では足りないのでは?

でも、それだけのことがおこなわれたと同時に思いました……。

原爆スラムの大火の記事と写真がありました。




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