磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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赤紙-男たちはこうして戦場へ送られた-

2009年05月20日 | 読書日記など
『赤紙-男たちはこうして戦場へ送られた-』
   小沢真人、NHK取材班・著/創元社1997年

NHKの番組であったものを元に書かれた本です……。下「」引用。

「本書は、一九九六年八月一一日に放送されたNHKスペシャル「赤紙が来た村」をもとに、当時の取材メモや収集した資料を新たに再構成したものである。番組をご覧いただいた方の中には、TV番組の内容と本書が異なっていると感じられた人もいるのではなかろうか。放送された番組は四五分、原稿用紙にして四○枚から五○枚ほどの情報量しかもたない。-略-」



図書館の説明文。下「」引用。

「日本で唯一残された富山県庄下村の8千点の兵事資料と、元兵事係の証言、さらに防衛庁の機密資料など、「戦争に送った側」と「送られた側」の両面からあぶり出すドキュメント。NHKスペシャル「赤紙が来た村」の単行本化。」

「終戦最後の大本営の指令」下「」引用。

「一九四五(昭和二○)年八月一五日、終戦を伝える玉音放送が、日本放送協会のラジオを通じて全国に流れた。戦争遂行を国家の目的とした時代が、終わりを告げたのである。このとき東京市ヶ谷の大本営から、秘密裡にある指令が出され、全国の各師団、連帯区司令部を通じて全市町村に伝えられた。その内容は「軍の機密に関わる一切の資料を売却せよ」というものであった。その指令書そのものも、大本営で焼却されて残っていない。
 大本営の指令はただちに全国の市町村役場に通達され、役場の職員によって保管されていた軍関係の資料が、一斉に焼却処分された。その資料は、役場でも市町村長以下、ごく少数の職員しか見ることのない、召集に関する機密事項の書類だった。敗戦という初めての事態に直面した軍は混乱し、長年軍に忠実に協力してきた市町村も、指令の意味を考える余裕もなく従った。当時戦争の記録を燃やす炎が、日本各地の市町村で見られたはずである。-略-」

どうして、こんな資料まで廃棄させたのでしょうか?

資料が残っていないというペテン師がいますが、隠蔽工作をする命令を出していたのが事実のようですね……。

60もの項目の資料か残されているという。下「」引用。

「長くなったが、以上が資料目録のすべてである。当時すべての市町村がこうした行政資料を作成し、村人を軍に送る準備作業を行っていた。出分さんのような兵事係が、こうした業務を一手に引き受けているのである。またその内容も、徴兵検査から召集、志願兵、馬などの徴発、戦死の告知、軍人遺族年金まで、多岐にわたっている。資料名を見るだけでも一人一人の国民の生活が、いかに軍隊と大きく関わっていたかがよくわかる。戦争を行なうだけが軍の仕事ではいな。国民の日常生活に関わる。」

松本清張の間違い……。下「」引用。

「戦後赤紙についてふれた本の中には、松本清張の『遠い接近』のように、兵事係や役場が直接召集者の決定をしたと紹介されているものも少なくない。また、そのような戦時中感じていた一般国民も多かったようである。庄下村の取材でも、赤紙を戸遂げる出分さんが召集者を決めていると思う人や、役場が決めていると思っている人がいた。赤紙の発行に関する業務は軍の機密であり、その内容を国民が知らされることがなかったことも、誤解を招く背景にあった。軍の情報提供不足が、国民の不信感や猜疑心を招いていたともいえる。
 赤紙を発行するプロセスは、軍の動員業務に関わる一部の軍人だけが知っており、役場の兵事係レベルにも知らされていなかった。私の取材に対しても、出分さんは、どうやって赤紙召集者を決定していたのかを、未だに知らないと語っている。」

肉親と特攻……。下「」引用。

「このとき、出分さんの弟の明信さんも志願書を提出している。明信さんは当時商業学校の生徒で、一六歳だった。明信さんの志願には、出分さんの強い勧めがあった。-略-全員志願書提出で、庄下村の戦争協力は抜群であると、県内でも知られるようになったという。
 根尾村長の息子久雄さんは、その後特攻隊の乗組員として、鹿児島県の鹿屋(かのお)基地に配属された。四五(昭和二○)年五月一九日、新聞は連合艦隊の長官名で、特攻隊の散華(さんげ)した兵士の氏名を公表し武勲を讚えた。その中に久男さんの名前があった。-略-」

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「赤紙が来ない人たち」 下「」引用。

「まず、富山連隊区司令部の雇員だった、大房正夫さんの話から紹介する。雇員とは、今風に言えばアルバイトである。大房さんは当時一○代の若者だった。大房さんの話は、第2章の在郷軍人名簿のところで短くふれた、召集延期者についての証言である。
「在京軍人名簿の中には、召集を免除される人たちが数多くいたんです。赤紙を作るときは、そういう人を除外して選ばれなければいけないのです。そういう人の名簿には『召延』と印が押してありまして、甲、乙と二種類の区分がありました。甲の人は絶対召集しない。乙の人は、どうしても人がいないときには召集します。だいたいの人が技術者でした。県内の大きな工場から申請が来て、その人の名簿には印を押してます。そうるすと、もう赤紙は来ないのです。ほかにも国鉄の機関士やバスの運転手など、輸送関係の人も多かったと思います。農業や漁業の人たちは対象外でした」

戦争は経済行為……。下「」引用。

「これまで折にふれて、戦争とは経済行為であるという、軍の認識を紹介してたが、村上の言葉は、戦争の本質を最も端的に表していると思う。戦争が人、物、金を使用して行うべき事業であるとすれば、国家は戦争事業を運営する企業ということであろうか。召集延期制度は、国民感情からすれば兵役の不公平を招くものであるが、総動員の立場から見ると、避けて通れない重要な問題だった。赤紙と召集延期制度は、戦時経済を運営するために、高度なオペレーションを必要とした近代の総力戦の両輪でもあったのだ。」

少数先鋭主義だった軍と短期戦……。下「」引用。

「長期的な消耗戦を戦う能力は日本にはなかった。そのハンディをカバーするのが、「総統の卓越」と兵の「教育訓練の精到」だった。優秀な参謀を持ち、兵が訓練により優れた能力を発揮すれば、短期決戦に勝てるというわけである。
 私が取材の過程で会った多くの元参謀も、同じようなことを口にしていた。彼らの理想とする戦争は、桶狭間で今川義元を破った織田信長の戦いぶりであった。少数精鋭の軍隊で奇襲攻撃をかけ、大軍を破った故事にならって、近代戦にも応用しようと考えていた。」


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