磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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父と暮せば

2007年12月15日 | 読書日記など
『父と暮せば』
   井上ひさし・著/新潮社1998年

前口上で著者はこう書いています。下「」引用。

「あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。」



この作品は舞台として作られたものですね。
映画化もされました。

こまつ座 ビデオ劇場1 父の暮せば

ボクはどちらも拝見しましたが、作者が何をいいたかったのかよくわかっていませんでした。

原爆によって生き残った娘。
--生き残ったことに罪を感じる「いましめる娘」。
しかし、しあわせになりたいと思う「願う娘」。
一人の娘のなかの心の内の葛藤をそう表現する作者。
そして、この「願う娘」を父親に変更したという。


この作品も悪用できるのではないか?
とボクは思いました。
--悪用して欲しくないので書いています……。

原爆はそんなに甘いものではありません。
現実の原爆の被害にあった人たちで結婚されなかった人はいます。

しかし、このような甘美なものではありません。
原爆にはいろいろな影響を与えることもいわれています。
それだから、結婚するなではなく、支えていく必要があるわけです……。
--それは永井隆博士が書いておられる通りだと思います。

だけど、個人に与えた影響はそんな生やさしいものではないことを、多くの被爆者の文章を読んでいただければ理解できると思います。


PTSDも笑い話にされることではないと思います。
雷であの日を思い出す主人公。
--ボクが演出をしていたら、あの時、笑いを得たら、失敗と脚本を投げ捨てることでしょう……。
「ふざけるな! PTSDとはそんな甘いものじゃない!
いいか! それが引きがねになっただけで、雷とは違うんだ!
子どもが雷を怖がっているようなことでは、それは表現できていない!」
と、怒り爆発だったと思います。

そして、この作品がフランスでも上演されたという。下「」引用。

「『父と暮らせば』も、一九九六年にフランス語訳ができ、翌年に、フランス各地で上演され、娘の美津江をイタリアの女優が、そして父親の竹造をフランス人の男優が演じました。自分で云うのも照れくさいのですが、反響は大きなものがありました。」

核保有国であり、フランス一国だけでも「核の冬」をおこすことができる国ですね。

そして、イタリアではチェルノブイリの事故のとき、放射性降下物があったのに、イタリアよりもチェルノブイリに近いフランスなのに、ないとした国でもありますね。

--核兵器はたいしたことがない。
雷程度のものだとしたら大間違いです。
前向きに考えない困った人たちと思うなら、大間違いです。

図鑑の表現のような羅列がありますが、あれこそが大切ですが……。
あれで理解できる人は、元から知っている人たちだと思います……。

原爆の実相を伝えてもいない、感傷的であり、お化けが出てくるという非現実的なものです。
--と井上ひさしの批判ならなるのでしょうか?

ベストセラーの戦後史1&2では、そのような評論でした……。


あくまでも、娯楽作品で、永井隆の作品のように、人生をかけたものではありません。

そして、権力者やすべての人に問題を投げ掛けるようなものでもありません。

問題を無視するような鈍感力のある永井隆ではありませんでした。

前出。下「」引用。

「おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。」

以後を期待したいと思います……。


ひょっこりひょうたん島」と、「てんぷくトリオ」のファンより。


もし女性なら結婚しなければならないという表現としたら、それは性差別といわれてもボクは否定できません……。






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