磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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こんな落語家(はなしか)がいた-戦中・戦後の演芸視-

2010年08月27日 | 読書日記など
『こんな落語家(はなしか)がいた-戦中・戦後の演芸視-』
   小島貞二・著/うなぎ書房2003年

双葉山の連勝が止まったとき、止めた安芸ノ海の付け人だった著者。



猫八と原爆」 下「」引用。

「落語家ではないが、声色の江戸屋猫八(三代目・岡田六郎)も出征芸人であった。それもヒロシマで原爆に遭っている。
 父が初代の猫八だから根っからの芸人であるが、二代目でなく三代目。中に一人、二代目がいるのである。-略-」

横須賀海兵団はナチスのよう……。下「」引用。

「この横須賀海兵団には、ナチス(ドイツのヒットラー)が作った宣伝隊のような組織があり、歌手の霧島昇、漫画の杉浦幸雄、挿絵画家の田代光、叙情画の中原淳一、のち文化勲章の書道家青山杉雨など、その道の一流どころが、召集仲間だったという。一番偉いのが霧島で兵長。-略-」

アチャコと金語楼の「わらわし隊」のことが書かれてあった。
後でわかったことだという。下「」引用。

「あとでわかったことであるが、アチャコが着ていたオーバーは、つい二、三日前、太原の古着屋で買った特大のもので、中国の陸軍少将の制服だったそうだ。」

金語楼の『落語の兵隊』ほど売れた新作落語は、昭和この方類がないという。

金語楼の禿頭は……。下「」引用。

「この禿頭は軍隊時代からで、朝鮮羅南第七十三隊に入隊して間もなく、紫斑病にかかり、投薬過多が原因らしく、徐々に頭髪の退却が見られ、一年で除隊となるがもうかなりうすくなっていた。」

満州へ慰問団へ行く、三遊亭圓生、古今亭志ん生……。下「」引用。

「東京大空襲のとき、まず押し入れに首を突っ込んで、布団の下の一升瓶を抱いて、家族を追っかけて逃げたという。
 昭和二十年五月、「満州へゆけば、まだ酒はいくらでも飲めますよ」ときき、即座に大陸慰問を引き受ける。」

帰ってきたのは……。下「」引用。

「志ん生と圓生は行方不明。帰ってくるかどうかわからない」という風説が芸界に流れていたのはそのころ、中には死亡説もあった。
 帰って来たのは志ん生が二十二年一月二十六日、圓生が三月十七日で別々だった。」

甘粕、服毒自殺。下「」引用。

「-略-小さい体を軍刀で支え、訓示を終わってみんなに目で合図を送ってから、そこにあった茶わんを取って、グイと飲みほして、そのまま前に倒れた。あらかじめ用意の青酸カリが茶の中に入っていたものらしい。
 あとで「甘粕の最後はピストル自殺だの、武人らしく腹を切って果てた」と書かれたものが多いが、「いやァ、青酸カリ自殺ですよ。だって私たちの目の前で起こった出来ごとですから……」と、坂野は断固語っていた。」

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