『三十五年目の被爆者』
広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会(篇)/
労働教育センター1979年
ケースワーカーの方々の書かれた本です。
多くの疑問が残る本でした……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ad/be46712105f8007f9233a37dd3283b24.jpg)
この本を読んでみても、やはり認定に問題があり、なかなか認定してくれなかったようです。それにしても一般常識がない世界、それが福祉行政という感じはいつものですね。
こんな表現があります。下「」引用。
「ガン細胞はもう全身にひろがり、ことばさえ自由にならないもどかしさ。しもの世話からいっさいのつきそいは小学校五年生の次女がしていました。
「これが(次女のこと)はじめての手術のとからずっと世話をしとるんですけんね。わしらたあ(看護が)うまいんですよ」とご主人が次女をふりかえって言います。」
これがもし、言葉通りなら、問題とならなかったのが不思議ですね。
小学校五年生がいっさいのつきそいをしているなんて……。
今では付添看護婦などという制度もなくなりましたね。
昔は金持ちには付添看護婦が高いお金をとって、特別に看護してもらうことができましたが、一般の方は家族の方が看護していたんですよ。
こう書くと、昔、看護婦さんは病院にいなかったの? と聞かれそうですね。いたのですが、全部はしてもらえなかったんです。今でも、完全看護と建前では書いていたり、言われたりするのですが、家族がしなければならない部分がある病院はけっこうあるんじゃないですか?
私の父の入院した病院もそうでしたが……。
一回入院すると、百万円もかかったという。これでは、金持ちしか病院にかかれませんね。
入院され苦労されている被爆者の家族愛。
読んでいて感動もしますし、素晴らしいとも思います。
公務員の方や、ナチス党の方々が、貧しい人、社会的弱者に対して、「生きていても仕方がない」といわれますが、彼らは何のために生きておられるのでしょうか?
逓信局で無線機の操作をされていたので、8月11日に『ボイス・オブ・アメリカ』で爆撃予告があったことを聴かれています。上司に伝えたが、8月5日には投下はされず、空襲警報ばかりが鳴っていたという。8月6日、『誤報だ』と上司は非難されているときに、原爆は投下されたという。
放射線影響研究所にも、ケースワーカーがおられたというので驚きました。でも、ABCCにも治療しない医師がいましたね。
こんな市役所の担当もいたそうです。下「」引用。
「原爆医療法ができてまもないころ、西田さんは交付された「被爆者健康手帳」を紛失したことがあった。再交付にあたっての行政当局の冷たい対応に、西田さんはいまでも涙を流して怒る。
--だんだん体の具合が悪くなってきて、顔が腫れたりして、それで被爆者健康手帳がほしいと思うようになり、市役所に何回も足をはこんで、再交付してもらうようたのんだんです。用紙を何回ももらってきました。父も兄嫁も、わたしは、何回も行ったんですけど、市役所の担当者は、古い台帳は市役所に残っていないし証人がいないからダメじゃ、言われて。証拠があるのに……ケロイドを見せたんです。足と腕を。そのケロイドでは証拠にならん、煮え湯をかけても同じようになる、言われて……。
結局、昭和五○年七月、ようやく再交付されるに至るが、西田さんは行政にたいする不信感を強く持つようになったと言う。」
考えられないと思いませんか? まだまだあるんですよ。
この本を読んでください。
でも、今の日本もかわりがありません。
「私たちは、これからも被爆者の杖ともなって、ともにヒロシマを語りつづけることを誓いたいと思います。
広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会」
美名や建前ではなく、機能的な思考をお願いしたいものです。
原爆被害者相談員の会
もくじ
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広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会(篇)/
労働教育センター1979年
ケースワーカーの方々の書かれた本です。
多くの疑問が残る本でした……。
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この本を読んでみても、やはり認定に問題があり、なかなか認定してくれなかったようです。それにしても一般常識がない世界、それが福祉行政という感じはいつものですね。
こんな表現があります。下「」引用。
「ガン細胞はもう全身にひろがり、ことばさえ自由にならないもどかしさ。しもの世話からいっさいのつきそいは小学校五年生の次女がしていました。
「これが(次女のこと)はじめての手術のとからずっと世話をしとるんですけんね。わしらたあ(看護が)うまいんですよ」とご主人が次女をふりかえって言います。」
これがもし、言葉通りなら、問題とならなかったのが不思議ですね。
小学校五年生がいっさいのつきそいをしているなんて……。
今では付添看護婦などという制度もなくなりましたね。
昔は金持ちには付添看護婦が高いお金をとって、特別に看護してもらうことができましたが、一般の方は家族の方が看護していたんですよ。
こう書くと、昔、看護婦さんは病院にいなかったの? と聞かれそうですね。いたのですが、全部はしてもらえなかったんです。今でも、完全看護と建前では書いていたり、言われたりするのですが、家族がしなければならない部分がある病院はけっこうあるんじゃないですか?
私の父の入院した病院もそうでしたが……。
一回入院すると、百万円もかかったという。これでは、金持ちしか病院にかかれませんね。
入院され苦労されている被爆者の家族愛。
読んでいて感動もしますし、素晴らしいとも思います。
公務員の方や、ナチス党の方々が、貧しい人、社会的弱者に対して、「生きていても仕方がない」といわれますが、彼らは何のために生きておられるのでしょうか?
逓信局で無線機の操作をされていたので、8月11日に『ボイス・オブ・アメリカ』で爆撃予告があったことを聴かれています。上司に伝えたが、8月5日には投下はされず、空襲警報ばかりが鳴っていたという。8月6日、『誤報だ』と上司は非難されているときに、原爆は投下されたという。
放射線影響研究所にも、ケースワーカーがおられたというので驚きました。でも、ABCCにも治療しない医師がいましたね。
こんな市役所の担当もいたそうです。下「」引用。
「原爆医療法ができてまもないころ、西田さんは交付された「被爆者健康手帳」を紛失したことがあった。再交付にあたっての行政当局の冷たい対応に、西田さんはいまでも涙を流して怒る。
--だんだん体の具合が悪くなってきて、顔が腫れたりして、それで被爆者健康手帳がほしいと思うようになり、市役所に何回も足をはこんで、再交付してもらうようたのんだんです。用紙を何回ももらってきました。父も兄嫁も、わたしは、何回も行ったんですけど、市役所の担当者は、古い台帳は市役所に残っていないし証人がいないからダメじゃ、言われて。証拠があるのに……ケロイドを見せたんです。足と腕を。そのケロイドでは証拠にならん、煮え湯をかけても同じようになる、言われて……。
結局、昭和五○年七月、ようやく再交付されるに至るが、西田さんは行政にたいする不信感を強く持つようになったと言う。」
考えられないと思いませんか? まだまだあるんですよ。
この本を読んでください。
でも、今の日本もかわりがありません。
「私たちは、これからも被爆者の杖ともなって、ともにヒロシマを語りつづけることを誓いたいと思います。
広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会」
美名や建前ではなく、機能的な思考をお願いしたいものです。
原爆被害者相談員の会
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