磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ちくま学芸文庫 戦争における「人殺し」の心理学 On killing

2009年01月16日 | 読書日記など
『ちくま学芸文庫
  戦争における「人殺し」の心理学 On killing』
    デーヴ・グロスマン(著)/
      安原和見(訳)/筑摩書房2004年

戦争は人殺しですね……。
それを理性的にやらせようとする……。
そもそもが間違いではないだろうか?



裏表紙に書かれてあります。下「」引用。

「本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れさせていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の教育が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。」

マッカーサーの言葉と現実……。下「」引用。

「ダグラス・マッカーサーがいみじくも言ったように、「戦争がどんなにおぞましい悲劇であろうとも、祖国の呼びかけに応えてみずからの生命を捧げ投げ出す兵士たちは、その高貴さにおいてもっとも進化した人類である」。
 兵士たち--その証言が本書の根幹をなしているのだが--は戦争の本質を見抜いている。かれらは「イーリアス」に登場するどんな人物にも劣らぬ偉大な英雄だが、にもかかわらず、本書で語られることば、かれら自身のことばは、戦士と戦争が英雄的なものだという神話を打ち砕く。ほかのあらゆる手段が失敗し、こちらにその「つけがまわって」くるときがあること、政治家の誤りを正すため、そして〈人民の意志〉を遂行するために、自分たちが戦い、苦しみ、死なねばならぬときがあることを、兵士たちは理解しているのだ。」

広島のことも書かれてあった……。下「」引用。

「広島に原子爆弾が落されたときは七万人が犠牲になった。第二次大戦を通じて、両軍の爆撃機の乗員たちは何百万とい女性、子供、老人を、自分の妻や子や両親と変わらない人々を殺害した。これらの航空機のパイロット、航空士、爆撃手、射手は、主として距離という要因がもたらす精神的な後押しによって、これらの民間人をあえて殺すことができたのである。頭では自分たちがどんな災禍をもたらしているか理解しても、距離のおかげで気持ちのうえではそれを否認することができたのだ。」

INDEX

たった一人がトラウマになった例……。下「」引用。

「戦争が終わったあとも長く悪夢によみがえってきたのは、このたった一度きりのナイフによる殺人だったという。ある晩のこと、彼のタコツボに小柄な日本兵がすべり込んできた。素手で格闘したあげく、ようやく押さえつけて喉を掻き切ったのである。押さえつけられた兵士がもがくのを感じ、血を流して死ぬさまを見つめていたときのおぞましさは、いまでも思い出すと堪えがたいほどだ、と彼は語ってくれた。」

もちろん、ヒロシマでの被害者のことなど、本気で見つめてないとしかボクには思えない。

「第22章 心理的距離--「おれにとってやつらは畜生以下だった」」、「倫理的距離--「大義が神聖なのに、どうして罪を犯しえようか」」……。

これは、アメリカだけに限らず、「神の国」という国家神道の人たちも「鬼畜米英」といい同様であったろう……。

--「戦争は究極の差別」

自殺について……。下「」引用。

「とくに暴力に酔って殺人を犯す人間は、殺人の高揚感の段階に固着していると考えて差し支えないだろう。だがいったんわれに返って、自分のやったことをじっくり考えるようになると、こんどは強烈な嫌悪感の段階が始まる。嫌悪感のあまり自殺という反応が起きる例は少しもめずらしくない。」

index

日本人について……。下「」引用。

「また、ノエル・ベリンの「鉄砲を捨てた日本人」には、一五○○年代にポルトガルから鉄砲が伝わったのち、日本がいかにこれを禁止したかかが語られている。火薬を戦争に使用すれば社会と文化が土台から脅かされるとすばやく見抜き、伝統的な生きかたを守るために積極的に手を打ったのである。-略-」











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