磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原子野からの旅立ち

2007年02月20日 | 読書日記など
『原子野からの旅立ち』
       女子パウロ会・編/女子パウロ会2005年

いろいろな方が書かれています。永井博士のことも書かれてありました。



原爆乙女の松原美代子さんも書かれています。

法王をむかえられた方も書かれています。

秋月辰一郎さんの妻、すが子さんも文章をよせられています。下「」引用。

「お告げのマリア修道女会(当時十字会と呼んでいた)のシスター方が三、四人かたまって、被爆されたらしく衣服はみんな燃えて裸同然の姿で、震えながらいっしょうけんめいにお祈りをしておられるのに出会いました。お祈りは『めでたし(アヴエ・マリア)』でした。その姿を見たとき、わたしは初めてお祈りの神髄にふれたような気持ちになりました。」


どんな祈りだったのでしようか……。想像もつきません……。

永井隆博士も歌をよまれていますが、秋月医師も。下「」引用。

「 黒ずみて教師の息の絶えんとす くすりなきかとその妻の泣く  辰一郎」


娯楽というよりも、まさに人生……という感じがしませんか?

芸術というのは、本来はそんなものであって欲しいです……。

永井隆博士と行動をともにされた久松シソノさんが、「如己愛人−−被爆の日々に見た永井隆先生の姿」という文章を書かれています。下「」引用。

「ほんとうに我が身も我が家も顧みず、先生はあの原子野で負傷者の救護、治療に全力を尽くされたのです。まさに「如己愛人−−己のごとく人を愛する−−」です。
 先生は被爆当時三十七歳、やがて病床に伏され、四十三歳で亡くなるまでわずか数年、それはしかし、愛に満たされた輝くような生涯でした。       (長崎如己の会副理事長)」


本島等さんが、燔祭について、それは永井隆だけのものではないと書かれています。下「」引用。

「 一九四五年の十一月二十三日に、浦上教会の信者たちの合同慰霊祭が行われたとき、永井隆が弔辞を読んだ。その最後にすべてを失ったときのヨブの祈り、「神は与え、神は取りだもう。神の名はほむべきかな」という「ヨブ記」の最高のところを引用している。」


片岡千鶴子さんが、「ほのほの中にうたいつつ−−シスター江角の純心女子学園復興の歩み−−」という文章を書かれています。

そして最後に、伊藤一長・長崎市長が永井隆博士のことを書かれてもいました。下「」引用。

「さらにわたしが大切な行政の役割ではないかと考えているのは永井隆先生のお心とその業績を次の世代に伝えていくことです。先生は自ら被爆者として大変な経験をされました。原爆が投下された直後、ご自分も大怪我(おおけが)をしておられたのに、負傷者の救護に全力を尽くされましたし、原爆で奥様を亡くされたあと、お子様方を養育され、そして数多くの文学作品を世に出されました。わたしは先生にお礼を申し上げたいと思っております。」







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