磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマへ……-----韓国の被爆者の手記-----

2008年03月08日 | 読書日記など
『ヒロシマへ……-韓国の被爆者の手記-』
  韓国の原爆被害者を救援する市民の会1987年

どうも韓国の文化を理解できていないとしか思えませんが、このような本もあるということで書きます。



うらみの地に散骨するという。下「」引用。

「火葬にし、遺骨を粉にして、生前「ヒロシマをもって帰りたい」といった生涯のうらみの地、広島に故人の魂でも送ってやろうと小船を借りて、海雲台(ヘウンデ)の前の海から広島に向って遺骨を海上にまきました。」

恨という文化なんでしょうね。

ボクは浄土真宗の家に生まれましたから、「人を恨まば穴二つ」ですね。

しかし、恨まれても仕方がないことを日本はしたわけです。

学徒動員で、呉海軍工廠で、被爆された人の文章もありました。

こんな噂も終戦時あったそうです。下「」引用。

「帰国
 日本が戦争に負けて、村には
「朝鮮人をなぐり殺せ」
といううわさが広がっていました。」

「日本帰りで、朝鮮の作法を知らない人だから」と結婚を反対されたという。

自殺企図をした障害者のある姉。
--妹が心配してやって来たという。
--妹は結婚しても原爆病なのか? 子どもを産めず離婚。
そして妹は練炭自殺。
--家政婦(当時はお手伝い)をしながら生きていく姉……。
3度目の自殺も失敗

--「証人なしで原爆手帳をとる」下「」引用。

「マスコミも驚いて、「韓国被爆者に画期的措置、証人なしで手帳を交付」、「手記が“被爆証人”韓国女性に念願の手紙」という大きな見出しで報道」

--両班の家の出身ということで韓国で結婚。
しかし、農作業ができないと、兄嫁にきつくされたという。
子どもは何回か流産。
1950年、朝鮮戦争、夫徴兵され死亡。
一人子を大切に育てたという。

1969年、広島のK病院の院長先生、原爆病院のI先生が医師派遣団として、韓国へ。

世界のことを考える人もおられます。下「」引用。

「アジアいや世界は一つだという気持ちでこれからみんな仲良くしていってほしいと思います。このことを日本の親善(しんぜん)国の一被爆者としてせつに願うばかりです。」

日本の手当て。下「」引用。

「現在支給されている手当も帰国すればもらえなくなります。
    一九八七年(昭和六十二年)三月」











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