磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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1950年8月6日朝鮮戦争下の広島

2007年12月25日 | 読書日記など
『1950年8月6日朝鮮戦争下の広島』
   深川宗俊・著/原水爆禁止広島市協議会1970年

薄い冊子です。モノクロの写真がわりとたくさんありました。



死者数不明。下「」引用。

「原子爆弾による広島市の死亡者の数は、二五年もたっているのにその実数が不明のままです。広島の死亡者は七万八千一五○人(県警四五・一一・三○)。八万(米医学協会四六・七・四)、二一万~二四万(浜井市長四九・八・二三)二○数万(広島市五三・六・一八)と、さまざまですが、日本政府は故意に広島・長崎の実態を調査しないで、さけています。」

政府は故意に、調査していない。
--それは水俣病も同様です……。


「大田洋子が野宿した猿猴川の川原」



原爆症救護病院が開設されたという。下「」引用。

「四五年九月一二日、軍医学校と東京第一陸軍病院のメンバーを中心とした一四四名の医師、看護婦らは原爆症救護病院(宇品町旧大和紡績寄宿舎)を開設したのですが、そこでの貴重な病理解剖の資料の大半が占領軍(リボー中佐)に押収され、一○月一四日には、米軍(メイソン大佐)によって病院引渡しと、それまでの調査結果の提示が要求され、すべての研究資料が戦利品として没収されたのです。」

大田洋子をそしる当時の文化人は多いが、一般の人の残されている文集では貴重な存在であることがよく書かれています。下「」引用。

「大田洋子・都築正男ら多く広島の廃墟に存在した人間宣言こそ、私たちがうけつぎ、発展させなくてはならない真の〈ヒロシマの原点〉ではないでしょうか。」

峠三吉の詩。下「」引用。

「一九五○年の八月六日
        峠三吉
走りよってくる
走りよってくる
あちらからも こちらからも
腰の拳銃を押さえた
警官が 駈けよってくる

一九五○年の八月六日
平和式典が禁止され
夜の町角
暁の橋畔に
立哨の警官がうごめいて
今日を迎えた広島の
街の真中 八丁交叉点
Fデパートのそのかげ

-略-」

上の詩の全文があるサイト


峠の詩を想い出して下の写真を見てほしい。
この子の母を奪う権利など誰にもない!
いや、誰の母でも父でも……。




その数年後?









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