『『黒い雨』と「重松日記」』
豊田清史・著/風媒社1993年
井伏鱒二の『黒い雨』誕生に関わった著書が書く、『黒い雨』……。
--なんか作品自体が黒い雨のように思えてくる……。
権威主義の人たちよって戦争は起こされ、そして力=権威は原爆となり投下された。
--サロン的な文学(権威主義)の黒い雨が、降り注ぐ……。
本当に民主主義の社会にするのなら、国語の教育もサロン文学ではなく、言語教育を!
--事実を理解できる能力を高めてほしいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/99/9bbf65200ced4280dfffdd8f0abc9191.jpg)
小説は事実よりも真実という人がいるが、『黒い雨』はそうではないとボクも思う。
この本に入ります。
帯に書かれてあります。下「」引用。
「〈名作〉誕生の謎をとく!
原爆文学の名作、戦後文学の傑作の一つと称され、この作品で野間文学賞、文化勲章を受章、ノーベル文学賞候補にまで挙げられた井伏鱒二の『黒い雨』誕生の謎を検証し、作品の六割を占めるといわれる「重松日記」との関係をいま初めて明かす。」
当時、著者(豊田)は広島師範学校付属学校教員、広島駅で被爆。同じ被爆者として重松と懇意。
毎日新聞の記事によれば。下「」引用。
「その豊田さんのもとに一九五八(昭和33年)年春、重松さんから被爆日記が届いた。『火幻』に載せてくれというわけだ。掲載はしたものの、『同時にひょうきんな味わいと、ところどころ凄い生きた描写がある。ひょっとしたら小説になりはしないだろうか』との思いを強くした。すぐに井伏氏の名前が胸にきた。戦後疎開中の井伏さんを、共通の友人である詩人・木下夕爾さん(一九六五年、五十歳で死去)と連れ立って訪ねた。井伏さんには、原爆の悲惨さにもふれた小品『かきつばた』の短篇で、心にぐっときたことがあるからだ。(中略)
重松さんも戦後すぐに井伏さんと面識があり、豊田さんの勧めに意をつよくして日記を清書して井伏さんへ送った。」
1965年、雑誌『新潮』掲載の時は『姪の結婚』
--豊田が電話で『ピカドン」、『黒い雨』に改題した方がいいという。
毎日新聞によれば、三人の存在がなかったら、できなかった作品だという。下「」引用。
「豊田さんは昨年、『広島随想』を出版した。そのなかで、名作『黒い雨』は「重松日記」というよい陶土があったからこそ、井伏という名工によって一篇の感動作品となったのである、と書いた。豊田さん本人は“陶土の掘り起こし役”を演じた」
一時はノーベル賞候補となる……。
しかし、きちんと評価がなされていく……。下「」引用。
「思えば『黒い雨』は一九六五(昭和40)年当時、絶対的な礼賛が相ついだが、その後次第に否定的な評価がなされたことも事実であった。私はこうした否定的評価も注意して見てきたのであるが、これらの学者、評論家には松永信一(広島大学教授、言語学)、古林尚、北村美憲、月村敏行などがあった。松永氏は、「読んでみてあとまで残った疑問は、これは単なるルポルタージュでしかないということだ。こういう素朴なものを小説として許したくないし、例えば峠三吉の詩の背後にある鋭い批判の眼、原民喜の作品の背後にある精神原爆症的な不気味な追求心、こういうものが『黒い雨』ではのんき過ぎる」。古林氏は、「まず構成上に大きな破綻があり、何かつけたし作品の感を免れない」等々さまざまであった。」
こういう側面もあるだろうと思う……。
映画は構成がよくできていたと思う……。
そして、著者の評。下「」引用。
「 これらを総合して私に言わしめるなら、『黒い雨』は小説としては、肝心なストーリーが支離滅裂であっていただきかねる。また井伏氏自身が“これはドキュメントである”と敢えて言明されたことで、作品は更に問題が生じ、コンポジションだけでなく、作品の人名、地名、日時にいたるまでさまざまなことが嘘、誤記となって、一つ一つこれをも解明する必要が生まれてきたのである。一方、『黒い雨』がこれまで人々に受けたのは、第一に庶民的姿勢をもって、被爆の現実が生きいきと描かれていること。その二は原爆というものに関してはストーリーなどたやすく作れるものではないのに、といった世人の先入感があって、この滅裂がかえって人気を得た。これが私の見方である。」
誤記なども掲載されていた……。
原爆の実相というのなら、大田洋子だし……。
小説としても優れているのは大田洋子である。
しかし、大田洋子の作品にも間違いは書かれている……。
--人間には限界がある……。
index
--原爆はそんなに簡単に理解できるものでもない。
今でも熱心に研究されている人たちもいることでもある……。
○○文学賞候補になった作品も御用学者のように、ニセ被爆者を描いたものなど、(戦争好きの)政治家につごうのよいように書いているものが多い。
--エロ・グロ・ナンセンスも、大衆煽動する政治家にはいいものだと言われている……。
ただ、えげつないグロを、タブーなきという評価はそもそも小説とは関係のない評価だとボクは思う。
読み物としても、どうかしていると思う……。タブーなき世の中をつくるためには役立つだろうが……。
もし、『黒い雨』が原爆の実相などといえば、それはミステリー小説でいうミス・ディレクションであろう……。
原爆はそんなものじゃない……。
index
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豊田清史・著/風媒社1993年
井伏鱒二の『黒い雨』誕生に関わった著書が書く、『黒い雨』……。
--なんか作品自体が黒い雨のように思えてくる……。
権威主義の人たちよって戦争は起こされ、そして力=権威は原爆となり投下された。
--サロン的な文学(権威主義)の黒い雨が、降り注ぐ……。
本当に民主主義の社会にするのなら、国語の教育もサロン文学ではなく、言語教育を!
--事実を理解できる能力を高めてほしいものです。
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小説は事実よりも真実という人がいるが、『黒い雨』はそうではないとボクも思う。
この本に入ります。
帯に書かれてあります。下「」引用。
「〈名作〉誕生の謎をとく!
原爆文学の名作、戦後文学の傑作の一つと称され、この作品で野間文学賞、文化勲章を受章、ノーベル文学賞候補にまで挙げられた井伏鱒二の『黒い雨』誕生の謎を検証し、作品の六割を占めるといわれる「重松日記」との関係をいま初めて明かす。」
当時、著者(豊田)は広島師範学校付属学校教員、広島駅で被爆。同じ被爆者として重松と懇意。
毎日新聞の記事によれば。下「」引用。
「その豊田さんのもとに一九五八(昭和33年)年春、重松さんから被爆日記が届いた。『火幻』に載せてくれというわけだ。掲載はしたものの、『同時にひょうきんな味わいと、ところどころ凄い生きた描写がある。ひょっとしたら小説になりはしないだろうか』との思いを強くした。すぐに井伏氏の名前が胸にきた。戦後疎開中の井伏さんを、共通の友人である詩人・木下夕爾さん(一九六五年、五十歳で死去)と連れ立って訪ねた。井伏さんには、原爆の悲惨さにもふれた小品『かきつばた』の短篇で、心にぐっときたことがあるからだ。(中略)
重松さんも戦後すぐに井伏さんと面識があり、豊田さんの勧めに意をつよくして日記を清書して井伏さんへ送った。」
1965年、雑誌『新潮』掲載の時は『姪の結婚』
--豊田が電話で『ピカドン」、『黒い雨』に改題した方がいいという。
毎日新聞によれば、三人の存在がなかったら、できなかった作品だという。下「」引用。
「豊田さんは昨年、『広島随想』を出版した。そのなかで、名作『黒い雨』は「重松日記」というよい陶土があったからこそ、井伏という名工によって一篇の感動作品となったのである、と書いた。豊田さん本人は“陶土の掘り起こし役”を演じた」
一時はノーベル賞候補となる……。
しかし、きちんと評価がなされていく……。下「」引用。
「思えば『黒い雨』は一九六五(昭和40)年当時、絶対的な礼賛が相ついだが、その後次第に否定的な評価がなされたことも事実であった。私はこうした否定的評価も注意して見てきたのであるが、これらの学者、評論家には松永信一(広島大学教授、言語学)、古林尚、北村美憲、月村敏行などがあった。松永氏は、「読んでみてあとまで残った疑問は、これは単なるルポルタージュでしかないということだ。こういう素朴なものを小説として許したくないし、例えば峠三吉の詩の背後にある鋭い批判の眼、原民喜の作品の背後にある精神原爆症的な不気味な追求心、こういうものが『黒い雨』ではのんき過ぎる」。古林氏は、「まず構成上に大きな破綻があり、何かつけたし作品の感を免れない」等々さまざまであった。」
こういう側面もあるだろうと思う……。
映画は構成がよくできていたと思う……。
そして、著者の評。下「」引用。
「 これらを総合して私に言わしめるなら、『黒い雨』は小説としては、肝心なストーリーが支離滅裂であっていただきかねる。また井伏氏自身が“これはドキュメントである”と敢えて言明されたことで、作品は更に問題が生じ、コンポジションだけでなく、作品の人名、地名、日時にいたるまでさまざまなことが嘘、誤記となって、一つ一つこれをも解明する必要が生まれてきたのである。一方、『黒い雨』がこれまで人々に受けたのは、第一に庶民的姿勢をもって、被爆の現実が生きいきと描かれていること。その二は原爆というものに関してはストーリーなどたやすく作れるものではないのに、といった世人の先入感があって、この滅裂がかえって人気を得た。これが私の見方である。」
誤記なども掲載されていた……。
原爆の実相というのなら、大田洋子だし……。
小説としても優れているのは大田洋子である。
しかし、大田洋子の作品にも間違いは書かれている……。
--人間には限界がある……。
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--原爆はそんなに簡単に理解できるものでもない。
今でも熱心に研究されている人たちもいることでもある……。
○○文学賞候補になった作品も御用学者のように、ニセ被爆者を描いたものなど、(戦争好きの)政治家につごうのよいように書いているものが多い。
--エロ・グロ・ナンセンスも、大衆煽動する政治家にはいいものだと言われている……。
ただ、えげつないグロを、タブーなきという評価はそもそも小説とは関係のない評価だとボクは思う。
読み物としても、どうかしていると思う……。タブーなき世の中をつくるためには役立つだろうが……。
もし、『黒い雨』が原爆の実相などといえば、それはミステリー小説でいうミス・ディレクションであろう……。
原爆はそんなものじゃない……。
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