『核言集』
塩田庄兵衛、井出洋、安斎育郎(編著)/
高須賀優(デザイン)/大月書店1989年
核言について書かれてあります。下「」引用。
「本のタイトルを端的に『核言集』と名づけたが、少し補えば、「現代を動かす核言」、あるいは「核言でつづる現代史」という表現も可能であろう。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6b/245035efe914d1438c598f188769202e.jpg)
右ページに、核言。左ページに、その解説(みっちり1ページ)。
「科学的発見と人類の進歩」ベルトルト・ブレヒト、ドイツの劇作家、詩人。下「」引用。
「君たち科学者は、時の経つうちには、発見しうるものをすべて発見してしまうかもしれない。でも君たちの進歩は、人類から遠ざかって進んでゆくものになってしまう。そして君たちと人類の溝はどんどん拡がって、ついには君たちが何か新しい成果を獲得したといってあげる歓喜の叫びは、全世界の人びとがひとしなみにあげる恐怖の叫びによって答えられることにもなりかねない。」
科学者の無責任は許される時代ではない。
--しかし、教養ある野蛮人が無自覚に人を傷つけ、殺戮している……。
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「ゲルニカからヒロシマへ」ポール・エリュアール、フランスの詩人。下「」引用。
「ゲルニカはオラドールとおなじように、ヒロシマとおなじように、生ける平和の町だ。これらの廃墟は、恐怖よりもっと力強い抗議の声をあげているのだ。」記録映画『ゲルニカ』(1950年作品)の解説より。
「原爆外交」ハリー・トルーマン、アメリカ第33代大統領。下「」引用。
「私は、原子爆弾が最後まで使用されないことを心から希望している。だが現在では利用しうるあらゆる武器を使用することが考慮されており、原爆を使用するかどうかも現地司令官の決定一つにかかっている。」1950年11月30日の記者会見より。
解説として書かれてあった一部です。下「」引用。
「トルーマンは、マッカーサー司令官の戦争指導の責任を追及して解任した。一九四五年いらい日本に君臨していたマッカーサーは失意の帰国を余儀なくされた。これは、ストックホルム・アピールへの五億の署名を始めとする国際世論の力で原爆使用を阻止した最初の例となった。」
無責任な政治家がいるからこそおきる、『原爆神話』『核実験パラダイス』……。
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「ボタン戦争への道」ユーリー・ガガーリン、ソ連の宇宙飛行士。下「」引用。
「地球は青かった。」1961年4月12日。ボストーク一号で人類史上発の有人宇宙飛行に成功したときの印象。
ボクらは宇宙への夢であったが、アメリカの政治家にとっては安全保障(戦争)であった……。
「核戦争後の世界」世界保健機関(WHO)国際専門委員会。下「」引用。
「核戦争後の世界には、数知れぬ動物や人間の死体や、未処理廃棄物や汚物が山をなし、人間よりも強いハエなどの昆虫や細菌が繁殖し、サルモネラ菌、赤痢、感染性肝炎、マラリア、発疹チフス、連鎖上級菌やぶどう状球菌感染症、結核などの多様な伝染病が流行する。」1982年。核戦争の影響にかんする報告書より。
解説として書かれてあった一部です。下「」引用。
「核兵器が人類の健康と福祉にとって最大の直接的脅威となっているという結論は、十分な専門的根拠をもつものであり、この脅威を除去しないかぎり人類の安全は保障されない。人類の健康にたいする核爆発の影響に対処する唯一の方法は、核戦争を阻止することである。」
★中曽根康弘★
「不沈空母ジャパン」下「」引用。
「私は防衛庁長官を務めたことがあり、日本の防衛については私自身の見解を持っている。全日本列島を不沈空母のようにし、ソ連のバックファイアー爆撃機の侵入に対する巨大な防壁を築くことだ。」1983年1月18日。訪米中の記者会見より。
解説ではこう書かれていた。下「」引用。
「この「空母」から降りるわけにはいかない乗組員一億二四○○万人の運命が、かつての帝国日本海軍主計将校の夢にもて遊ばれることがあってはならないのである。」
「病は気」「広島原爆養護ホームにて」下「」引用。
「「病は気から」と申します。根性さえしっかりしていれば病気は逃げていきます。」1983年8月6日。広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」で約120人の被爆老人を前にしての言葉より。
さらに中曽根は傷口に塩をなすりつけていた。下「」引用。
「中曽根首相は、この挨拶で、さらにこうつづけた。「異民族がおらず、大和民族が手を取り合ってやってきたのが日本のよい点だ。泥棒、強盗、殺人も少ない。」聞いていた被爆者のなかには、韓国人被爆者が二人いた。「慰めにもならない言葉に、お年寄りたちからは笑顔も拍手もなかった」と、当時の朝日新聞は伝えている。」
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1984年の第39回国連総会、意味のない安倍晋太郎の「ステップ・バイ・ステップ」方式。
「非核の自治体」は……。下「」引用。
「非核年宣言」は日本の平和に有害です。」1985年12月発行のパンフレット。
平和憲法下で、核保有まで望む与党自民党。下「」引用。
「いまのところ日本では、全国各地の自治体で、条例化の提案が否決されつづけている。」
核保有国にしようとする人たちにとってはそうだろう……。
もくじ
「2000年までに核廃絶可能」ミハエル・ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長。下「」引用。
「ソ連は、今世紀末までの向こう一五年間に、世界中の核兵器をなくすプログラムを段階的に一貫して実施することを提案する。……核兵器廃絶の効果的な道を見出すことは、いますぐその解決にとりくむならば、実現可能な課題である。」1986年1月15日の声明から。
こんなことをすれば、軍需関連産業の人たちは……。
「オマンマのために」柳原仁。三菱重工労組委員長。下「」引用。
「防衛産業サイドからいえば、一千億円の仕事が来年五百億円に減っては困る。仕事がなくなり、雇用の喪失につながる。米ソ関係がすっかりよくなり、日本も今ほど防衛力を持たなくていいということになったら、オマンマが食べられなくなります。」1986年8月14日付「朝日新聞」より。
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このために、福祉は削られ、多くの人が苦しんでいる……。下「」引用。
「破壊と殺戮のための兵器生産を「オマンマのため」と正当化する感覚マヒ症状には大いに警戒しなければなるまい。」
そして、大量虐殺兵器を平和のためという……。
「核こそ平和の保障」トロント・サミット政治宣言。下「」引用。
「われわれはまた、予見しうる将来においては、核抑止力と充分な通常兵力が自由の下での平和を保障するものであることを再確認した。」1987年6月20日。
ニュージーランドの首相・デイヴィッド・ロンギ。下「」引用。
「核兵器をニュージーランドに持ち込むことは、わが国の防衛にまったく役立たないばかりか、戦争が起きた時に、先制攻撃や報復攻撃を誘うものでしかない。」1987年6月4日。ニュージーランド国会での首相答弁より。
先の大戦の教訓からでも、そうなるだろう……。
北海道の牧場に原爆は落とされなかった……。
軍都・広島、三菱のある長崎が標的だった。
また、食糧輸入国の日本。
--生命倫理を重んじる国からの輸入を促進してもらいたい。
核保有などする生命軽視のところの商品に危険性があるのは当然ではないか?
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塩田庄兵衛、井出洋、安斎育郎(編著)/
高須賀優(デザイン)/大月書店1989年
核言について書かれてあります。下「」引用。
「本のタイトルを端的に『核言集』と名づけたが、少し補えば、「現代を動かす核言」、あるいは「核言でつづる現代史」という表現も可能であろう。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6b/245035efe914d1438c598f188769202e.jpg)
右ページに、核言。左ページに、その解説(みっちり1ページ)。
「科学的発見と人類の進歩」ベルトルト・ブレヒト、ドイツの劇作家、詩人。下「」引用。
「君たち科学者は、時の経つうちには、発見しうるものをすべて発見してしまうかもしれない。でも君たちの進歩は、人類から遠ざかって進んでゆくものになってしまう。そして君たちと人類の溝はどんどん拡がって、ついには君たちが何か新しい成果を獲得したといってあげる歓喜の叫びは、全世界の人びとがひとしなみにあげる恐怖の叫びによって答えられることにもなりかねない。」
科学者の無責任は許される時代ではない。
--しかし、教養ある野蛮人が無自覚に人を傷つけ、殺戮している……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b1/83bcaf2d5bca4d4cdee9048d41e39903.jpg)
「ゲルニカからヒロシマへ」ポール・エリュアール、フランスの詩人。下「」引用。
「ゲルニカはオラドールとおなじように、ヒロシマとおなじように、生ける平和の町だ。これらの廃墟は、恐怖よりもっと力強い抗議の声をあげているのだ。」記録映画『ゲルニカ』(1950年作品)の解説より。
「原爆外交」ハリー・トルーマン、アメリカ第33代大統領。下「」引用。
「私は、原子爆弾が最後まで使用されないことを心から希望している。だが現在では利用しうるあらゆる武器を使用することが考慮されており、原爆を使用するかどうかも現地司令官の決定一つにかかっている。」1950年11月30日の記者会見より。
解説として書かれてあった一部です。下「」引用。
「トルーマンは、マッカーサー司令官の戦争指導の責任を追及して解任した。一九四五年いらい日本に君臨していたマッカーサーは失意の帰国を余儀なくされた。これは、ストックホルム・アピールへの五億の署名を始めとする国際世論の力で原爆使用を阻止した最初の例となった。」
無責任な政治家がいるからこそおきる、『原爆神話』『核実験パラダイス』……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0a/1ca89bba6052fb70ba8b9c96a762069b.jpg)
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「ボタン戦争への道」ユーリー・ガガーリン、ソ連の宇宙飛行士。下「」引用。
「地球は青かった。」1961年4月12日。ボストーク一号で人類史上発の有人宇宙飛行に成功したときの印象。
ボクらは宇宙への夢であったが、アメリカの政治家にとっては安全保障(戦争)であった……。
「核戦争後の世界」世界保健機関(WHO)国際専門委員会。下「」引用。
「核戦争後の世界には、数知れぬ動物や人間の死体や、未処理廃棄物や汚物が山をなし、人間よりも強いハエなどの昆虫や細菌が繁殖し、サルモネラ菌、赤痢、感染性肝炎、マラリア、発疹チフス、連鎖上級菌やぶどう状球菌感染症、結核などの多様な伝染病が流行する。」1982年。核戦争の影響にかんする報告書より。
解説として書かれてあった一部です。下「」引用。
「核兵器が人類の健康と福祉にとって最大の直接的脅威となっているという結論は、十分な専門的根拠をもつものであり、この脅威を除去しないかぎり人類の安全は保障されない。人類の健康にたいする核爆発の影響に対処する唯一の方法は、核戦争を阻止することである。」
★中曽根康弘★
「不沈空母ジャパン」下「」引用。
「私は防衛庁長官を務めたことがあり、日本の防衛については私自身の見解を持っている。全日本列島を不沈空母のようにし、ソ連のバックファイアー爆撃機の侵入に対する巨大な防壁を築くことだ。」1983年1月18日。訪米中の記者会見より。
解説ではこう書かれていた。下「」引用。
「この「空母」から降りるわけにはいかない乗組員一億二四○○万人の運命が、かつての帝国日本海軍主計将校の夢にもて遊ばれることがあってはならないのである。」
「病は気」「広島原爆養護ホームにて」下「」引用。
「「病は気から」と申します。根性さえしっかりしていれば病気は逃げていきます。」1983年8月6日。広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」で約120人の被爆老人を前にしての言葉より。
さらに中曽根は傷口に塩をなすりつけていた。下「」引用。
「中曽根首相は、この挨拶で、さらにこうつづけた。「異民族がおらず、大和民族が手を取り合ってやってきたのが日本のよい点だ。泥棒、強盗、殺人も少ない。」聞いていた被爆者のなかには、韓国人被爆者が二人いた。「慰めにもならない言葉に、お年寄りたちからは笑顔も拍手もなかった」と、当時の朝日新聞は伝えている。」
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1984年の第39回国連総会、意味のない安倍晋太郎の「ステップ・バイ・ステップ」方式。
「非核の自治体」は……。下「」引用。
「非核年宣言」は日本の平和に有害です。」1985年12月発行のパンフレット。
平和憲法下で、核保有まで望む与党自民党。下「」引用。
「いまのところ日本では、全国各地の自治体で、条例化の提案が否決されつづけている。」
核保有国にしようとする人たちにとってはそうだろう……。
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「2000年までに核廃絶可能」ミハエル・ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長。下「」引用。
「ソ連は、今世紀末までの向こう一五年間に、世界中の核兵器をなくすプログラムを段階的に一貫して実施することを提案する。……核兵器廃絶の効果的な道を見出すことは、いますぐその解決にとりくむならば、実現可能な課題である。」1986年1月15日の声明から。
こんなことをすれば、軍需関連産業の人たちは……。
「オマンマのために」柳原仁。三菱重工労組委員長。下「」引用。
「防衛産業サイドからいえば、一千億円の仕事が来年五百億円に減っては困る。仕事がなくなり、雇用の喪失につながる。米ソ関係がすっかりよくなり、日本も今ほど防衛力を持たなくていいということになったら、オマンマが食べられなくなります。」1986年8月14日付「朝日新聞」より。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/c4/bd2877fdf52341761e9cbc5e66342e5b.gif)
このために、福祉は削られ、多くの人が苦しんでいる……。下「」引用。
「破壊と殺戮のための兵器生産を「オマンマのため」と正当化する感覚マヒ症状には大いに警戒しなければなるまい。」
そして、大量虐殺兵器を平和のためという……。
「核こそ平和の保障」トロント・サミット政治宣言。下「」引用。
「われわれはまた、予見しうる将来においては、核抑止力と充分な通常兵力が自由の下での平和を保障するものであることを再確認した。」1987年6月20日。
ニュージーランドの首相・デイヴィッド・ロンギ。下「」引用。
「核兵器をニュージーランドに持ち込むことは、わが国の防衛にまったく役立たないばかりか、戦争が起きた時に、先制攻撃や報復攻撃を誘うものでしかない。」1987年6月4日。ニュージーランド国会での首相答弁より。
先の大戦の教訓からでも、そうなるだろう……。
北海道の牧場に原爆は落とされなかった……。
軍都・広島、三菱のある長崎が標的だった。
また、食糧輸入国の日本。
--生命倫理を重んじる国からの輸入を促進してもらいたい。
核保有などする生命軽視のところの商品に危険性があるのは当然ではないか?
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