磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

あおよ かえってこい

2009年04月29日 | 読書日記など
『あおよかえってこい』
   早乙女勝元・文/遠藤てるよ・絵/童心社1985年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「あおは、ぼくのなかよしの子馬。
あの大空襲の日、あおは、ほのおをくぐって、
ぼくのいのちを、たすけてくれた!
戦争はおわった。だが、やさしいあおは……」



あおは荷馬車を引く馬……。下「」引用。

「荷車をひく馬は、みんなおとなしくて、長いくびをふりふり、たづなを手にしたおじさんのうしろについてきました。小山のような大荷物がそのあとにつづきます。-略-」

戦争をしているころの話……。下「」引用。

「そのころ、ぼくのすんでいた東京の下町には、馬がどっさりいました。
 町では、バスと、軍のトラックいがいに自動車を見かけることはくなくて、馬がいろんな荷物をはこんでいたのです。
 日本がアメリカなどと戦争をしていたころのことですから、もう四十年いじょうもむかしのことになります。」

ともだちの家が運送屋……。下「」引用。

「けんちゃの家は、すぐちかくの運送屋さんでした。」

坂道で荷馬車を押すのを手伝ったという……。下「」引用。

「けんちゃんと、ぼくは、ありったけの力をこめて荷車をおしました。
 やっとのこと、坂道をのぼりきったとき、ぼくは、いまにも腰がぬけそうになりましたが、あおも、ぐったり、くびをおとしていました。-略-」

けんちゃんは疎開。しかし、あおは仕事があるので、そのまま……。

空襲で、街は火の海に。
火の海から、助けてくれるあお。

ペガサス座をみて、それが「あお」だと思う一郎と母。

「あとがき」に書かれてあります。下「」引用。

「この“炎の夜”に東京の下町で、人びとの生活をささえていたたくさんの馬たちも犠牲になりました。当時、城東区(現江東区)の南砂町で荷馬車業にあった彦田好平さんのお話によれば、
「南砂と北砂町、それに大島町もふくめ、ざっと三千頭くらいの馬がいました。そのうちの、半分が焼け死んだでしょうな。生き残った馬も、ほとんどかえってきませんでした。わたしのところの五頭も全滅です。一頭は馬屋で黒こげになってましたっけ。おとなしくて、勤勉なやつだったのに……。」
 戦争は、人間ばかりでなくて、町じゅうのねこや犬や、牛や馬たちの生命までもうばったのです。」

そして関係者が石碑をつくったという。
--「江東馬頭観世音

【紙芝居】あおよ、かえってこい










index

index

もくじ

もくじ







エンタメ@BlogRanking





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。