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二・二六事件-青年将校の意識と心理-

2009年11月18日 | 読書日記など
『二・二六事件-青年将校の意識と心理-』
   須崎慎一・著/吉川弘文館2003年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「ねじまげられた歴史の真実!
秘められた手記・証言が語る青年将校たちの実像。彼らが求めた「昭和維新」とは何か。」



表紙 : 警視庁を占拠した野中四郎大尉指揮の兵士

今もし……。下「」引用。

「この本を開かれた読者の皆さんは、二・二六事件に、どのようなイメージをお持ちだろうか? 今もし我々のそばで、こんな事件が起こったとしたら……
 二・二六事件は、一見平和な戦争状態にない時であっても、軍隊という存在が危険をはらむことを雄弁に物語っているのではないだろうか。-略-」

大学受験と歴史認識……。下「」引用。

「大学受験で大きな比重を占める山川出版社の教科書『詳説 日本史』が、二・二六事件を、「北一輝の思想的影響をうけていた皇道派の一部青年将校」が起こした事件と記述し、註で対立していた派閥(統制派・皇道派)の説明をしていることが大きいであろう。しかし以下でみていく通り、北一輝・西田税(にしだみつぎ)の思想的影響をうけた青年将校はそれほど多くはないのである。」

「バラバラな青年将校たちの思想的原点」

「青年将校運動の発足--一九三一年八月二六日、日本青年館の会合」

東条英機少将の監視。下「」引用。

「九州で大日本護国軍というファッショ団体を作り、三井財閥排撃運動を行なった満井佐吉中佐は、一九三三年八月東京に呼び戻され、陸軍省調査班で、陸軍パンフレットの執筆にあたることとなった。その満井は、二・二六事件後の取り調べの際、「当時調査部長東条(英機)少将ハ私ニ将校ノ動静ニ注意シテ居ル様ニ申サレタコトモアリマス」と陳述している。
 東条らは、青年将校への監視を強めはじめようとしていたのである。さらに三井は、「東条少将、池田純久中佐、田中清少佐、片倉(衷)少佐等ノ軍中央部幕僚亦荒木的奇声ヲ示シ」、「当時陸相ヲ更迭セン」とする態度を取り出していたという。」

INDEX

荒木陸相辞任1934年1月23日、第65議会再開後。下「」引用。

「この荒木陸相の辞任と、林銑十郎陸相の誕生は、その後の青年将校運動に大きな影響を及ぼすこととなる。そして三月四日には山岡重厚に替わって永田鉄山が軍務局長に就任し、同年七月三一日には柳川陸軍次官・山下奉文軍事課長・秦真次憲兵司令官がそれぞれの職を去る。三三年六月、参謀次長を大将昇進のために辞任した真崎が、三四年一月、陸相・参謀総長と並ぶ陸軍三長官の一・陸軍教育総監の職についたとはいえ、中央部に三四年八月の時点で残ったのは、真崎と松浦人事局長・小藤補任課長らとなるのである。青年将校と陸軍上層部との関係は大きく変わり、二・二六事件への道が次第に敷かれはじめていく。」

「軍の腐敗への青年将校たちの怒り」 下「」引用。

「軍隊の腐敗を、主計将校の目で徹底的に暴くのが磯部浅一である。その手記「軍隊の腐敗と皇軍私兵化の実状」は、「軍隊特に上級幹部のり腐敗は甚だしい」として、「天皇の軍隊」が「天皇の軍隊」として機能していない実状を痛憤し、次のように結論づける。
 大隊長が侍大将(さむらいだいしょう)を自任し、聯隊長を一城の主なりと云ひ、陸軍大臣を征夷大将軍の如く考へる。不ラチ至極なる上級軍人の存在が軍隊腐敗の最大の原因である。」

松本清張・藤井康栄編『二・二六事件=研究資料』III

「2 なぜ鎮圧方針は出なかったのか」
「「友軍ト見做し」方針への道」

石原莞爾の現状打開。下「」引用。

「石原が、陸軍大臣は、皇道派の小畑敏四郎と、半皇道派の板垣征四郎の連立で行きたいと言うのに対し、山口は、首相を、台湾軍司令官の柳川平助で、というすれ違いの会話であった。しかし青年将校討伐論の代表とみなされがちな石原が、青年将校の行動を利用して、現状の打開を策していたことは間違いない。-略-」

「散見される天皇の怒り」 下「」引用。

「本庄繁侍従武官長の婿である山口は、天皇周辺の雰囲気を、それなりにつかんでいたのであろう。天皇が絶対に許さない、という予感を持っていたからこそ彼は最後まで同調せず、上部工作に頼ろうとしていたのではないかる-略-」

「自決の強要と反発」 下「」引用。

「山下奉文・鈴木貞一、さらに野中四郎大尉を「強制自決」させたと思われる井出宣時らの陸軍のエリート幕僚たちであった。」

石原莞爾の「維新」……。下「」引用。

「青年将校たちの徹底的処断と、「粛軍」によって、陸軍の地歩を高めていく方策がとられいくのであった。そして、二・二六事件の裁判をも通じて、青年将校運動は根こそぎにされていくのである。二・二六事件によって石原莞爾が述べたように、「維新ノ『メド』ハツイタ」以上、陸軍にとって青年将校運動は、もはや必要ないものとなったのである。」









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