磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈-

2010年11月25日 | 読書日記など
『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈-』
   竹森久朝・著/白石書店1976年

複数の顔を持つ男・児玉。下「」引用。

「ある時は、反共運動の指導者としての「右翼の顔」、保守政治をリモート・コントロールしていった「黒幕の顔」、さらには経済界を揺るがした「総会屋・総元締の顔」、そて全国の暴力団組織の上に君臨した「大親分の顔」、米諜報機関に組み込まれた「CIAの顔」--などである。だが、これらの顔は、特徴的な共通項をいずれももち合わせていた。それは、どす黒い富を生み出す利権のありかを敏感に嗅ぎ取る“鋭い嗅覚組織”をこれらの顔すべてにセットしていたことだ。」



大事件……。下「」引用。

「鐘紡内紛事件(二八年)、「赤いダイヤ」事件(三○年)、白木屋乗っ取り事件(三○年)、新立川航空株買い占め事件(三二年)、東洋精糖乗っ取り事件(三三年)、京成電鉄事件(三九年)、日通事件(四三年)どに、児玉本人、あるいは児玉の息のかかった総会屋が登場している。-略-」

「総会屋に甘い都市銀行の“罪”」下「」引用。

「総会屋・児玉が標的にした企業は、次の条件のいずれかを満たした会社に限られた。すなわち天下り官僚がトップにいる会社か、背後に有力政治家が控えている会社である。-略-」

児玉の家庭……。下「」引用。

「児玉誉士夫は金銭的に恵まれない家庭で少年時代を送った。政治にかぶれた父親が本業の医者の仕事をおろそかにしたかからである。そんな家庭環境に加え、七歳の時に母親を病気で亡くした。以後ついに暖かい母親の愛情を知らずに成長したが、これら二つの事情が児玉を、時に反抗的な、そして直情径行な押しの強い性格にしていった。」

右翼団体「建国会」(赤尾敏)に入った児玉誉士夫。

戦争を口実“利権”漁り。下「」引用。

「もっとも当時の右翼がどこまで戦争に対する認識を深めていたか疑問な面もあった。戦争を口実に“利権”漁りをするようになったからである。国内では、戦争協力を国民に呼びかけながら、満州や北支、中支(上海)などに出かけていっては、軍部と、あるいは三井物産などの商社と結びついて、現地で買入れたた禁制品を国内に還流させることで不法利益をえた。中には、朝鮮で「いいカネになる仕事がある」と偽って朝鮮人女性を、従軍慰安婦に仕立てて戦場へ送り込むものものいた。」

タングステンは軍の必需品。下「」引用。

「タングステンを鋼鉄製造の過程で混入すると、硬度を増し、少々の高熱にあたっても鉄類の強度は損なわれなかった。つまり軍用機のエンジン部分、大砲や銃機器の銃身部分の製造の上で、タングステンは必要不可欠のものであったわけである。-略-」

特務機関。下「」引用。

「その頃、海軍省航空部長・山県正郷中将は特務機関--物資調達機関を設置するにあたって、「だれか適当な人物はいないか」と、懇意にしていた右翼の大物・笹川良一に問い合わせた。笹川は部下の藤吉男に物色させた。その結果、候補にあがったのが児玉誉士夫だったのである。-略-」

三井と阿片。下「」引用。

「三井は、満州事変の頃からすでに阿片を扱っていたといわれるが、「上海支店には、慶応出の専門家が一人いた」という。そしてその資金の面倒をみていたのが三井銀行上海支店長、のちに頭取をつとめた佐藤喜一郎だった。-略-」

天皇が阿片に怒る。下「」引用。

「余談になるが、昭和一八年頃、天皇は塩沢侍従武官に「支那で、軍が阿片の密売をしているそうだが、本当か。事実なら即刻中止せよ」と、質問されたことがある。驚いた塩沢武官は、質問を否定するとともに、影佐中将を訪れて「阿片工作は陛下のご意志にそむいてるのだから、絶対に外部に漏らさないように……」とクギをさしたという。戦後、天皇の戦争責任問題が占領軍の間で論議された時、このことが好戦的でなかった反証して持ち出されたそうである。」

戦後に生かされた人脈。

“太平洋戦争でいちばん出世した男”=児玉誉士夫。

内閣参与・児玉誉士夫(東久邇宮内閣)。下「」引用。

「だが、児玉にとって内閣参与は、政府高官を一度は経験したという勲章になった。」

戦中に選挙にでた児玉誉士夫。下「」引用。

「戦中の一七年の翼賛選挙にの立候補(非公認・落選)した」

「A級戦犯からCIA秘密工作員へ」

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A級戦犯……。下「」引用。

「戦中の政財官界、軍部、思想界でそれぞれリーダーシップをとった錚々たるA級戦犯の顔ぶれの中に三十四歳の児玉が加えられたことで、「A級戦犯即大物」という意識を人々に植えつけていった事実はいなめなかった。」

英国と阿片と戦争裁判。下「」引用。

「巣鴨を出所する頃になって判ったことだが、中国で戦争裁判にかければ、里見機関よりも前に阿片の密売工作をしていた英国の立場が問われる、ということで国民政府の引渡し要求は、英国が強硬に反対したという。」

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出所した直後、「東京レアメタル」を設立。

下山事件など一連の怪事件が、日本の政界を右寄りに再編する上で少なからず貢献したという。

政官と暴力団の結びつき。下「」引用。

「たそして児玉と暴力団の関係は、政界や官界のトップで入手した情報--たとえば暴力団のいっせい手入れの動きを事前に知り、暴力団に流してやることで、両者の結びつきを深めていったのである。」

安岡(正篤)イズム。下「」引用。

「もちろん安岡に他意はなかったにしろ、安岡と児玉の主従関係、そして安岡イズムの崇拝者がほ政財官界の指導者層に集中していることが、自民党内における児玉の黒幕的な動きに何らかの引き金になったことは否定できないだろう。」

河野洋平。下「」引用。

「児玉--鳩山--河野のラインでつながけった“政界黒幕の顔”と、児玉--河野--丸紅飯田の“利権の顔”がこの時点で、見事にドッキングしたのである。余談になるが、河野と丸紅飯田の関係は、彼が経営した株式会社「日糧」を通じて深くかかわり合い、また息子の洋平(現衆議院議員)もこの商社に一時期籍を置いたことがある。-略-」

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鹿島建設と九頭竜川ダム事件(40年)。

「M資金」「四谷資金」「キーナン資金」「ガリオア・エロア資金」(G資金)、「X資金」……。

田中角栄と総会屋……。下「」引用。

「昭和四七年七月七日--田中角栄が自民党の総裁に選ばれた。その頃、初老の男が都心に散らばっている総会屋の事務所を一軒ずつ訪ね歩いていた。
「小佐野(賢治)の使いで参りました。今後とも田中首相をお引き立ていただき、最低二年間は批判しないとお約束いただけますなら……」と、ひととおり口上をのべると、腕っぷしの強そうな若者に持たせた皮鞄の中から、五十万とか百万とかの札束を取り出した。彼は、児玉誉士夫と義兄弟の関係にある元親分の番頭で、月刊誌やミニコミ新聞を発行している総会屋に田中首相の批判封じのクギをさしてまわったのである。」

CIA秘密工作員→つくられた保守政権。

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側近がささえる“児玉企業”群。

創価学会顧問・塚本清は、児玉の刎頚の友。

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中曽根康弘幹事長は児玉誉士夫といちばん近い立場にいたという。下「」引用。

「もともと中曽根幹事長は、いちばん児玉誉士夫に近い立場にいた。児玉の代行者であり、分身でもある太刀川秘書は、彼のもとで秘書修業をした“実績”がある。」

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