『十四歳の夏』
山崎袈裟恵・著/東京図書出版会2004年
「今だからこそ、語れる、書ける。どんなことに憧れ、どうやって自立の道を求めていたか-。学問することに代わって労働を強制された辛さや、竹馬の友を戦争で奪われた悲しみ…。十四歳の強烈な体験を綴る。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/74/269cb7c61448e9211d1c7b874d6a38cd.jpg)
受験集団……。下「」引用。
「ところで、太平洋戦争末期に、この水門の「晶子のうた」のある詰で、県下の中学生が海軍の訓練を受けたことを知る人は、少なくともなってきているのではないか。-略-そもそもこの訓練は、日本を代表する軍港横須賀で行なわれていたのだが、戦火が厳しくなったという事情で、ここ岡谷に来た-略-ここに集められた中学生は、目前に海兵(海軍兵学校)の受験を控えている集団であった。-略-」
「いじめ」教育? 下「」引用。
「万事かくのごとし。時にある班をいじめの標的にして、その班に集中して見せしめの罰をくれ、全員を所期の目標に一日でも早く近づけるというやり方であった。かくして、隊全体は、その班にいじめが集中しているかぎりは、つかの間の安定をしていた。次のいじめの標的ができるまで、その班はいつまでもいじめの標的となっていた。それ以後、もろい班は常にいじめの標的とされた。」
そもそも「いじめ」は教育ではなく、家畜化でしょうね……。
--だれかがそんなことを書いていた……。
家畜化された人たちは、「いじめ」を「いじめ」とも思えないとも……。
--今もそのような教育であるかもしれませんね……。
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昭和18年、中学三年の夏、ペンをツルハシに代える著者……。下「」引用。
「中学生が派遣された先は木曽。木曽は山の中であった。そこは御嶽山黒沢登山口と呼ばれた。-略-このホームで待合いしていながら、ここで常識を破られた。
「事故があっても生命の保証はしない」
はっきり掲示してあるのだ。ここでは人間も材木並みであるのだ。-略-」
木曽……。下「」引用。
「私の目は、木曽の風物に向いた。同じ位の石がたくさんのかかった屋根、どこへ行っても細長い空、毎日毎日積み出された木材など、目に入るものは珍しかった。また、木曽駅で見た本線のレールの太いこと、太いこと。機関車の大きいこと、大きいこと。森林鉄道の細いレールや小振りな機関車を見慣れた目には、それが驚きとなった。」
材木出し……。下「」引用。
「私たちは、三年の三学期、まるまる授業をした。二学期は木曽で苦労ししたお返しかもしれない。しかし、三月末の学年休みの最中に、突然学校に集められた。中学校に疎開してくる「軍の施設」が必要とする材木出しのためである。-略-」
「硝煙(長野空襲)」 下「」引用。
「終戦のわずか二日前、長野市は空襲を受け四十七人(住民四十二・兵士五)の生命が奪われる惨事となった。この日早朝六時五十分ころから午後三時ころの白昼、五回にわたる米軍艦載機の編隊が執拗に襲来し、松岡の飛行場から国鉄工機部、松代の民家など無差別にロケット弾投下や機銃掃射をほしいままにした。
私はその朝、夏休みを返上して、学徒動員先へ向かうべく、駅への通勤・通学路を歩いていた。家から川中島の駅まで歩いて二十分はかかるので、六時四十五分には、家を出ていたと思う。この路程の三分の一ほどのところで、せっかちな轟音とともにパンパンという異様な物音を耳にした。同時に火薬のきな臭い匂いが辺り一面に広がってきた。その匂いは未経験のものであり、「これは敵機からの攻撃だ。敵の飛行機が、ついに信州の山奥まで来た」、生れてこの方経験したことがない事実に戸惑いながらも、このままでは『危険』を感じた。」
松代大本営があるから、狙われたのだろう……。
もくじ
むかしは、桑畑があったという。下「」引用。
「このもも畑も子どものころは、桑畑であった。曽て日本中に栽培された桑は、化学繊維が開発されたことによって天然繊維である絹の需要は減り、しだいにその栽培が少なくなった。-略-」
パラシュートは絹製品……。
ナイロンという語源?……。下「」引用。
「このナイロンという命名について、ナイロン(NYLON)をひっくり返すと、NOLYN(農林)となるので、日本の農林業をひっくり返すためだというような話を聞いた。」
「あとがき」にこう書かれてあります。下「」引用。
「-略-特に生糸の最大輸出国であったアメリカ合衆国とこじれた関係になったことは、子供心にも納得いかない事件でありました。」
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もくじ
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山崎袈裟恵・著/東京図書出版会2004年
「今だからこそ、語れる、書ける。どんなことに憧れ、どうやって自立の道を求めていたか-。学問することに代わって労働を強制された辛さや、竹馬の友を戦争で奪われた悲しみ…。十四歳の強烈な体験を綴る。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/74/269cb7c61448e9211d1c7b874d6a38cd.jpg)
受験集団……。下「」引用。
「ところで、太平洋戦争末期に、この水門の「晶子のうた」のある詰で、県下の中学生が海軍の訓練を受けたことを知る人は、少なくともなってきているのではないか。-略-そもそもこの訓練は、日本を代表する軍港横須賀で行なわれていたのだが、戦火が厳しくなったという事情で、ここ岡谷に来た-略-ここに集められた中学生は、目前に海兵(海軍兵学校)の受験を控えている集団であった。-略-」
「いじめ」教育? 下「」引用。
「万事かくのごとし。時にある班をいじめの標的にして、その班に集中して見せしめの罰をくれ、全員を所期の目標に一日でも早く近づけるというやり方であった。かくして、隊全体は、その班にいじめが集中しているかぎりは、つかの間の安定をしていた。次のいじめの標的ができるまで、その班はいつまでもいじめの標的となっていた。それ以後、もろい班は常にいじめの標的とされた。」
そもそも「いじめ」は教育ではなく、家畜化でしょうね……。
--だれかがそんなことを書いていた……。
家畜化された人たちは、「いじめ」を「いじめ」とも思えないとも……。
--今もそのような教育であるかもしれませんね……。
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昭和18年、中学三年の夏、ペンをツルハシに代える著者……。下「」引用。
「中学生が派遣された先は木曽。木曽は山の中であった。そこは御嶽山黒沢登山口と呼ばれた。-略-このホームで待合いしていながら、ここで常識を破られた。
「事故があっても生命の保証はしない」
はっきり掲示してあるのだ。ここでは人間も材木並みであるのだ。-略-」
木曽……。下「」引用。
「私の目は、木曽の風物に向いた。同じ位の石がたくさんのかかった屋根、どこへ行っても細長い空、毎日毎日積み出された木材など、目に入るものは珍しかった。また、木曽駅で見た本線のレールの太いこと、太いこと。機関車の大きいこと、大きいこと。森林鉄道の細いレールや小振りな機関車を見慣れた目には、それが驚きとなった。」
材木出し……。下「」引用。
「私たちは、三年の三学期、まるまる授業をした。二学期は木曽で苦労ししたお返しかもしれない。しかし、三月末の学年休みの最中に、突然学校に集められた。中学校に疎開してくる「軍の施設」が必要とする材木出しのためである。-略-」
「硝煙(長野空襲)」 下「」引用。
「終戦のわずか二日前、長野市は空襲を受け四十七人(住民四十二・兵士五)の生命が奪われる惨事となった。この日早朝六時五十分ころから午後三時ころの白昼、五回にわたる米軍艦載機の編隊が執拗に襲来し、松岡の飛行場から国鉄工機部、松代の民家など無差別にロケット弾投下や機銃掃射をほしいままにした。
私はその朝、夏休みを返上して、学徒動員先へ向かうべく、駅への通勤・通学路を歩いていた。家から川中島の駅まで歩いて二十分はかかるので、六時四十五分には、家を出ていたと思う。この路程の三分の一ほどのところで、せっかちな轟音とともにパンパンという異様な物音を耳にした。同時に火薬のきな臭い匂いが辺り一面に広がってきた。その匂いは未経験のものであり、「これは敵機からの攻撃だ。敵の飛行機が、ついに信州の山奥まで来た」、生れてこの方経験したことがない事実に戸惑いながらも、このままでは『危険』を感じた。」
松代大本営があるから、狙われたのだろう……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/c0/5a4c0993543a041c385ad4e0c6235a57.jpg)
むかしは、桑畑があったという。下「」引用。
「このもも畑も子どものころは、桑畑であった。曽て日本中に栽培された桑は、化学繊維が開発されたことによって天然繊維である絹の需要は減り、しだいにその栽培が少なくなった。-略-」
パラシュートは絹製品……。
ナイロンという語源?……。下「」引用。
「このナイロンという命名について、ナイロン(NYLON)をひっくり返すと、NOLYN(農林)となるので、日本の農林業をひっくり返すためだというような話を聞いた。」
「あとがき」にこう書かれてあります。下「」引用。
「-略-特に生糸の最大輸出国であったアメリカ合衆国とこじれた関係になったことは、子供心にも納得いかない事件でありました。」
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