磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原発とヒロシマ-「原子力平和利用」の真相-

2011年12月18日 | 読書日記など
『原発とヒロシマ-「原子力平和利用」の真相- 岩波ブックレット No.819』
   田中利幸、ピーター・カズニック(著)/岩波書店2011年

図書館の説明文。下「」引用。

「原爆の惨劇を経験した日本は、なぜ戦後、核の危険性に目をつむり、原発政策に邁進していったのか。被爆地・広島をも利用したアメリカの戦略を浮き彫りにし、日本の原発政策の「原点」を問う。」



「日米軍事同盟と原発体制」 下「」引用。

「史上初の核兵器攻撃の被害国である日本も、アメリカのこの「原子力平和利用」売り込みのターゲットとされ、アメリカ政府や関連企業が一九五四年の年頭から様々なアプローチを日本で展開し始めた。その結果、日米安保体制の下で、兵器では「核の傘」、エネルギーでは「原発技術と核燃料の提供」、その画面にわたってアメリカに従属する形をとるようになったのである。そのため、一方では、国内、とりわけ沖繩の米軍基地が朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などアメリカが次々と行う様々な戦争の重要な拠点として活用され、他方では、がむしゃらな原発建設で政治家・官僚・財界癒着の構造腐敗を促進し、環境破壊を拡大してきた。日本政府は、核兵器による威嚇を中心戦略とする日米同盟と、原発からの放射能漏れならびに放射性廃棄物の大量蓄積の両面で、これまで多くの市民の生存権を長年脅かしてきただけではなく、そのような国家政策に対する根本的な批判を許さないという体制を維持してきた。」

「銃弾と同じように?」 下「」引用。

「アイゼンハワーはしばしば、核兵器を使うことが大したことでもないかのような発言をしている。一九五五年に、彼は記者に対してこう述べた。「もちろん核兵器は使われるだろう。核兵器が厳密に軍事目標に対して軍事目的のためだけに使われるのなら、銃弾を撃ったり通常の武器を使ったりするのと同じように、核を使用してはならないという理由が見当たらない」。-略-」

アメリカの指導者たち=「危険で自己中心的な狂人」 下「」引用。

「国際社会はこの水爆実験のニュースに愕然とした。ベルギーの外交官ポール=アンリ・スパークハ、「アメリカは、原子力の平和のために利用するというアイゼンハワー大統領が演説で述べた考えを取り戻すための対策を打たなければ、アメリカ合衆国の国名は、ヨーロッパにおいて、野蛮で恐ろしいものの代名詞と認識されるであろう」と警告した。インドの首相ジャワハルラール・ネルーも、アメリカの指導者たちは「危険で自己中心的な狂人」で、「自分たちの政策の邪魔になるものは、人であれ国であれ、爆破するであろう」と厳しく非難した。」

オットー・ハーン。下「」引用。

「ドイツのノーベル賞受賞者オットー・ハーンはウラン原子を初めて分離したという怪しげな功績をあげた人物であるが、一九五五年二月、このハーンが、人類消滅のためには窒素爆弾四○○個ではなく一○個で十分であると、ヨーロッパのほとんど全域にラジオ放送で発表した。その翌週には、ニョーヨーク・タイムズ紙に、「窒素爆弾で世界は終わりを見る」と題した記事が掲載されるという状況になった。」

主婦の怒り! 下「」引用。

「一方、日本では水爆実験への非難の嵐が吹き荒れた。東京・杉並区では、主婦が水爆禁止のための署名運動を始めた。この運動は全国に広がり、次の年には日本の人口のほぼ四分の一にあたる三二○○万人もの驚異的な数の署名が集まった。」


キリスト教的な原子力? 下「」引用。

「-略-日本に試験的な原子炉の建設をすることまでも提案した。原子力委員会の委員の一人、トーマス・マレーはその提案を支持して、次のように述べている。「依然、広島と長崎の記憶が鮮明なうちに、日本に原子力発電所を作ることは劇的でキリスト教的な行為であり、こうすることで我々は広島、長崎の惨劇の記憶を乗り越えることが出来るであろう。」」

そうかな? 今でもそう言えるのか?

「原水禁大会でも「平和利用」を支持」
--イデオロギーの人たち。彼らの理想とする社会も暴力によってつくらた歴史を知ろうともしない。世の中はイデオロギーにあわせて、つくられていないのですよ。それで平和なんでしようか?

原爆も、正義のアメリカが平和をつくりだすために使用したと、彼らは思っているのではないでしょうか?







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