『MINERVA西洋史ライブラリー76
大量虐殺の社会史-戦慄の20世紀-』
松村高夫、矢野久・編著/ミネルヴァ書房2007年
それにしても、これほど多いのかと驚いた……。
帯に書かれてあります。下「」引用。
「大量虐殺の世紀に迫る--
虐殺が生じた原因を歴史的脈略のなかでとらえ、20世紀の虐殺の特質を解明する。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b2/60531b9f55dfe876071f433993d060a0.jpg)
アメリカの放置した虐殺。
1915年『ニューヨーク・タイムズ』がアルメニア人虐殺の一四五の事例を報道。アメリカ動かず。
1976年、カーター大統領はカンボジアの虐殺の事実を知りながら、ポルポトのクメール・ルージュを支持、ポル・ポト政権崩壊後も10年間にわたりその国連代表権を認めた。
--アメリカの干渉と放置の例は枚挙に暇がないという。
さらに、南米ではCIAや軍部も関与していたという。
■20世紀に生じた主要な大量虐殺■
「南西アフリカドイツ領(現ナミビア)におけるドイツ軍によるヘレロ人虐殺、一九○四年(数千人)
南アフリカにおけるイギリスによるツル人虐殺、一九○六年(三○○○人)
南アナトリアにおけるトルコによるアルメニア人虐殺、一九○九年(二万人)
トルコによるアルメニア人虐殺、一九一五年(六○万人以上)[第一章 松村高夫執筆]
ソ連のウクラナイにおける「クーラク」虐殺、一九二九~三二年(四○○~五○○万人)
ソ連のスータリンによる「人民の手垣」粛正、一九三四~三八年(銃殺は六八万人)
ナチスのユダヤ人虐殺=ホロコースト、他にベラルーシ人、ポーランド人、ロマ、ウクライナ人虐殺、一九四一~四五年(六○○万人)[第二章 矢久執筆]
クロアチア独立国におけるセルビア人、ユダヤ人、ロマ虐殺、一九四一~四五年(二五万人以上)[第3章 清水清子執筆]
アルジェリアのセティフにおけるフランスによる虐殺、一九四五年(四万五○○○人)
パキスタン(後のバングラデッシュ)によるチタゴン・ヒル。トラクト部族虐殺、一九四○年代以降
韓国の老斤里におけるアメリカによる虐殺、一九五○年(四○○人)[第四章 松村高夫執筆]
南スーダンにおけるスーダン政府による黒人キリスト教徒虐殺、一九五五~九二年
チベットにおける中国による虐殺、一九四九~七九年
ブラジル政府とパラグアイ政府によるアメリカ先住民虐殺、一九六○年代以降(九○○人)
グアマテラ軍事政権によるマヤ先住民族虐殺、一九六一~六九年[第九章 狐崎知己執筆]
インドネシアにおける九・三○事件以降の共産主義者虐殺、一九六五~六六年(五○~一○○万人)[第五章 倉沢愛子執筆]
ナイジェリア軍によるイボ(ビアフラ)虐殺、一九六六~七○年
赤道 ギニアにおけるアキアス政府による虐殺、一九六八、七九年
パキスタン軍事政権によるベンガル人虐殺、一九七一年(一二五~三○○万人)
ブルンディ(アフリカ)におけるツチによるフツ虐殺、一九七二年(一○~一五万人)
アミン政府とその後継者による(特にアジア系)ウガンダ人虐殺、一九七二~八五年
チリにおけるピノチェト政権による虐殺、一九七三年(一二○○人)
クメール・ルージュ政権によるカンボジア人虐殺、一九七五~七九年(一七○万人以上)[第六章 大村次郎執筆]
東ティモール(と西パプア)におけるインドネシア政府による虐殺、一九七五~二○○二年(二○万人)
アルゼンチン軍事政権による政治的左翼虐殺、一九七八~七九年
エチオピア政権によるチグレイとエリトリアに対する虐殺、一九八○~九二年
イラク政府によるクルド人虐殺、一九八八年と一九九一年、およびマーシュ・アラブ人虐殺、一九九一年以降(クルド人一○万人)
クロアチアによるセルビア人虐殺、一九九一~九五年[第七章 清水明子執筆]
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける「民族浄化」一九九二~九五年
ルワンダにおけるツチ虐殺、一九九四年(八○万人)[第八章 饗場和彦執筆]
メキシコ・アクテアルにおける虐殺、一九九七年(四五人)[第十章 清水透執筆]」
日本のがないと思ったが、次に書かれてあった。下「」引用。
「ひるがえって日本をみれば、近代に限っても、日清戦争の日本軍による旅順市民一万数千人とう市民皆殺しに近い虐殺(一八九四年)、朝鮮義和団事件弾圧、シベリア出兵(イワノフカ事件など、一九一九年)、朝鮮三・一独立運動弾圧(堤岩里事件など、一九一九年)、関東大震災の再の関東一帯における六○○○人以上の朝鮮人虐殺(一九二三年)、台湾の霧社事件(一九三○~三一年)、万宝山事件(一九三一年)、さらに旧満州撫順炭坑近くの平頂山村における日本軍による三○○○人の虐殺(これも数人の生存者のみという皆殺し、一九三三年)、南京虐殺(一九三七年)、重慶無差別爆撃(一九三八年~)、旧満州平房の七三一部隊における少なくとも三○○○人の中国人等の人体実験による殺害(一九三八~四五年)、同部隊で開発した細菌兵器(ペスト菌、炭疽菌など)の中国十数地域への散布による大量殺害(一九四○~四二年)、同じく中国での毒ガス兵器使用による殺害、そして沖縄におけるアメリカ軍による殺戮と日本軍による住民殺害(「集団自決」の強制)等、これまた枚挙に暇がない。」
index
暇がないということは、まだあるということだが……。
ヒロシマ・ナガサキも、ジェノサイドと書く人もいるが、含まれないのか?……。
--内容のことまで書けませんでした……。
驚くことが書かれてありました。
index
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大量虐殺の社会史-戦慄の20世紀-』
松村高夫、矢野久・編著/ミネルヴァ書房2007年
それにしても、これほど多いのかと驚いた……。
帯に書かれてあります。下「」引用。
「大量虐殺の世紀に迫る--
虐殺が生じた原因を歴史的脈略のなかでとらえ、20世紀の虐殺の特質を解明する。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b2/60531b9f55dfe876071f433993d060a0.jpg)
アメリカの放置した虐殺。
1915年『ニューヨーク・タイムズ』がアルメニア人虐殺の一四五の事例を報道。アメリカ動かず。
1976年、カーター大統領はカンボジアの虐殺の事実を知りながら、ポルポトのクメール・ルージュを支持、ポル・ポト政権崩壊後も10年間にわたりその国連代表権を認めた。
--アメリカの干渉と放置の例は枚挙に暇がないという。
さらに、南米ではCIAや軍部も関与していたという。
■20世紀に生じた主要な大量虐殺■
「南西アフリカドイツ領(現ナミビア)におけるドイツ軍によるヘレロ人虐殺、一九○四年(数千人)
南アフリカにおけるイギリスによるツル人虐殺、一九○六年(三○○○人)
南アナトリアにおけるトルコによるアルメニア人虐殺、一九○九年(二万人)
トルコによるアルメニア人虐殺、一九一五年(六○万人以上)[第一章 松村高夫執筆]
ソ連のウクラナイにおける「クーラク」虐殺、一九二九~三二年(四○○~五○○万人)
ソ連のスータリンによる「人民の手垣」粛正、一九三四~三八年(銃殺は六八万人)
ナチスのユダヤ人虐殺=ホロコースト、他にベラルーシ人、ポーランド人、ロマ、ウクライナ人虐殺、一九四一~四五年(六○○万人)[第二章 矢久執筆]
クロアチア独立国におけるセルビア人、ユダヤ人、ロマ虐殺、一九四一~四五年(二五万人以上)[第3章 清水清子執筆]
アルジェリアのセティフにおけるフランスによる虐殺、一九四五年(四万五○○○人)
パキスタン(後のバングラデッシュ)によるチタゴン・ヒル。トラクト部族虐殺、一九四○年代以降
韓国の老斤里におけるアメリカによる虐殺、一九五○年(四○○人)[第四章 松村高夫執筆]
南スーダンにおけるスーダン政府による黒人キリスト教徒虐殺、一九五五~九二年
チベットにおける中国による虐殺、一九四九~七九年
ブラジル政府とパラグアイ政府によるアメリカ先住民虐殺、一九六○年代以降(九○○人)
グアマテラ軍事政権によるマヤ先住民族虐殺、一九六一~六九年[第九章 狐崎知己執筆]
インドネシアにおける九・三○事件以降の共産主義者虐殺、一九六五~六六年(五○~一○○万人)[第五章 倉沢愛子執筆]
ナイジェリア軍によるイボ(ビアフラ)虐殺、一九六六~七○年
赤道 ギニアにおけるアキアス政府による虐殺、一九六八、七九年
パキスタン軍事政権によるベンガル人虐殺、一九七一年(一二五~三○○万人)
ブルンディ(アフリカ)におけるツチによるフツ虐殺、一九七二年(一○~一五万人)
アミン政府とその後継者による(特にアジア系)ウガンダ人虐殺、一九七二~八五年
チリにおけるピノチェト政権による虐殺、一九七三年(一二○○人)
クメール・ルージュ政権によるカンボジア人虐殺、一九七五~七九年(一七○万人以上)[第六章 大村次郎執筆]
東ティモール(と西パプア)におけるインドネシア政府による虐殺、一九七五~二○○二年(二○万人)
アルゼンチン軍事政権による政治的左翼虐殺、一九七八~七九年
エチオピア政権によるチグレイとエリトリアに対する虐殺、一九八○~九二年
イラク政府によるクルド人虐殺、一九八八年と一九九一年、およびマーシュ・アラブ人虐殺、一九九一年以降(クルド人一○万人)
クロアチアによるセルビア人虐殺、一九九一~九五年[第七章 清水明子執筆]
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける「民族浄化」一九九二~九五年
ルワンダにおけるツチ虐殺、一九九四年(八○万人)[第八章 饗場和彦執筆]
メキシコ・アクテアルにおける虐殺、一九九七年(四五人)[第十章 清水透執筆]」
日本のがないと思ったが、次に書かれてあった。下「」引用。
「ひるがえって日本をみれば、近代に限っても、日清戦争の日本軍による旅順市民一万数千人とう市民皆殺しに近い虐殺(一八九四年)、朝鮮義和団事件弾圧、シベリア出兵(イワノフカ事件など、一九一九年)、朝鮮三・一独立運動弾圧(堤岩里事件など、一九一九年)、関東大震災の再の関東一帯における六○○○人以上の朝鮮人虐殺(一九二三年)、台湾の霧社事件(一九三○~三一年)、万宝山事件(一九三一年)、さらに旧満州撫順炭坑近くの平頂山村における日本軍による三○○○人の虐殺(これも数人の生存者のみという皆殺し、一九三三年)、南京虐殺(一九三七年)、重慶無差別爆撃(一九三八年~)、旧満州平房の七三一部隊における少なくとも三○○○人の中国人等の人体実験による殺害(一九三八~四五年)、同部隊で開発した細菌兵器(ペスト菌、炭疽菌など)の中国十数地域への散布による大量殺害(一九四○~四二年)、同じく中国での毒ガス兵器使用による殺害、そして沖縄におけるアメリカ軍による殺戮と日本軍による住民殺害(「集団自決」の強制)等、これまた枚挙に暇がない。」
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暇がないということは、まだあるということだが……。
ヒロシマ・ナガサキも、ジェノサイドと書く人もいるが、含まれないのか?……。
--内容のことまで書けませんでした……。
驚くことが書かれてありました。
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