磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原子力委員会の闘い

2008年06月16日 | 読書日記など
『原子力委員会の闘い』
   石川欽也・著/電力新報社1983年

科学の原理のことで、民主主義だといって、話し合いで決めてしまう人をボクは信用できません……。
--この著者は自称ジャーナリストですが、原発推進だと思います。
なぜなら、原子力委員会の問題はきちんと書かれていないと思います……。



しかし、チェルノブイリ前の本ですね。

目 次

昭和57年、日本原子力産業会議の有澤廣巳会長(元、原子力委員長代理)。下「」引用。

「-略-いわゆる原子力開発三原則により進められてきて今日に及んでいます。
 したがって、私ども各胃壁の否定の下に原子力の平和利用を進めているのです。『ノーモア・ヒロシマ』は、私ども日本にとってばかりでなく、全人類にとっての『ノーモア・ヒロシマ』でなくてはなりません!……」」

原子力開発3原則が守られてきたというのでしょうか?
--驚きです。
それなら、湯川秀樹が辞任することはなかったのでは?

そして、猿橋の発言が掲載。下「」引用。

「有澤発言に対し早速、反応があった。年次大会最終日の三月十日午後、三枝佐枝子商品科学研究所長を議長にしたパネル討論「原子力発電と合意形成」で、パネリストの猿橋勝子地球化学研究協会理事(日本学術会議会員)が発言した。
「平和利用に徹しきることに尽きる。その昔、日本学術会議が提言し、原子力基本法に明文化されてある『自主』『民主』『公開』の三原則を確かに守ってほしい。その意味で、今大会開会セッションで、今大会評価したい。有澤廣巳先生が言われた所信表明は、積極的な意志の表明であり、高く評価したい。有澤発言は原子力界にとって大変、画期的なことである。」」

守ってほしいということは、守っていないということでは……?

有澤を誉めたわけではないようにボクには思えますが……。

朝永振一郎や武谷三男のことが書かれてあるが、彼らは原子力委員会に属していたことはないと思う。

index

index

三菱の関係者が……。下「」引用。

「また、その頃の日本原子力研究所は、労使紛争で世間の関心を集めており、原子力研究所のそうした行き詰まりが、この政策論議を必要としていたのだろう。原研建て直しのため、佐藤栄作首相(故人)の強い要請で原子力研究所入りした丹羽周夫理事長(三菱造船会長、故人)が、その建て直し目標として、高速増殖実験炉(現在の「常陽」)の旗を揚げたわけである。」

index

原子力船「むつ」のことも書かれてありました。下「」引用。

「実験開始を急ぐ所有者の日本原子力船開発事業団(現・日本原子力船研究開発事業団)の西堀栄三郎理事(現、京大名誉教授)が「原子力船の安全性を疑う者は、火を見ておののく野獣」と高言し、漁業者たちの強い反発をかった。また、森山が「警察力を動員してでも、出港させてみせる」と強行姿勢であった。」

--そして「むつ」は8月28日午前11時34分に、北太平洋上で“原子の火”をともす。
なんと! 9月1日夕、「放射能漏れ」を起す。
--そして、廃船!

index

三菱重工、日立製作所、東京芝浦電気、石川播磨重工、富士電機、日本製鋼の六社は、ソ連に原発を売ろうと考えていたようだ。土光さんが、ソ連に行ったけれど、契約は成立しなかったという……。

カーターの核不拡散政策については鋭い視点があると思う。下「」引用。

「当時、アメリカは商業ベースの再処理事業と高速増殖炉の実用化につして、西欧主要国に遅れを取っていた。そこで、「核拡散防止」を大義名分にして、戦後一貫して採ってきたが、失いかけている“原子力による世界寡占体制”の回復を目指していたのではないか。つまり、核武装を志向する開発途上国対策と、原子力技術の点でライバル関係のフランス、西ドイツへの抑え込みの両面作戦を兼ねた“国際的な大網打ち”と解釈できよう。」

それにフォード財団も加わっていたようだ。
しかし、論破されてしまう……。
カーター政権には、原子力について詳しい人はいなかったようだ……。

カーター大統領が平和のために働いたとは、ボクも思えない……。


著者の略歴。
昭和7年、東京生れ。-略-
29年毎日新聞入社。
40年、原子力担当、現在、編集委員。






index

目 次



エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。