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福沢諭吉の戦争論と天皇制論-新たな福沢美化論を批判する-

2009年02月18日 | 読書日記など
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論-新たな福沢美化論を批判する-』
   安川寿之輔・著/高文研2006年

まず、これを理解して欲しい……。下「」引用。

「「丸山諭吉」神話は、福沢の人物像への幾多の誤解・混乱の発生源そのものであり、『すすめ』初編が人民の自由と平等を否定している事実を踏まえて、早急に解消されなければならない。」



日清開戦に勇躍した福沢諭吉は、全国第2位の軍事献金を拠出し、国民に向かっては「日本臣民の覚悟」を説いたという……。

「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。

「本書は、語彙や文体から起草者を推定する「井田メソッド」による『福沢諭吉全集』無署名論説の筆者の再認定作業を行い、アジアへの侵略・蔑視や天皇尊厳を説く社説は「民族差別主義者・天皇賛美者」の石河乾明らが起草した論説であるという誤った認定にもとづいて、新たな福沢諭吉の美化・偶像化をはかった平山洋『福沢諭吉の真実』、井田進也『歴史とテクスト』の二著を、全面的な誤謬の書として批判したものである。」

間違った解釈が生れた原因は……。下「」引用。

「その思想の変化・流れとおよそ関係なく、同じ「語彙と表現」が使われているか否かのみの単純な判別によって、福沢の論説か別人の論説かを区別・認定できると思いこんでいることである。」

「(4) 「脱亜論」を「対中国不干渉論」と曲芸的解釈」下「」引用。

「-略-したがって、井田が引用した「戦(いくさ)を主張して戦を好まず、…」云々という第七章中の文章は、『通俗国権論』の主題からだけでなく、「外戦止(や)むを得ざる事」という章の表題をも代表できない、つまり、同書の論旨の文脈からは二重に外れた傍流の外交辞令的な文章にすぎない。それなのに、この傍流の文章の紹介をもって、六年後にかかれた「支那風擯斥(ひんせき)す可(べ)し」が対中国「慎重論」であるとする井田の曲芸的な論証過程の無理はあまりにも明らかである。」

全集の注記なども無視しているという……。

日本の民衆も罵倒していた福沢……。下「」引用。

「署名著作『時事小言』において、明治日本の「所謂(いわゆる)百姓町人」を「豚」呼ばわりし、民衆を「馬鹿と片輪」と考えた福沢は、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」という、自らは信じない宗教による百篇をこす民衆教化の宗教振興論を主張した人物である。また福沢は、『帝室論』において、天皇制の本質を「愚民を籠絡(ろうらく)する…詐術(ぎじゅつ)」であると見事に見抜いていた。つまり、日本の民衆を「豚」や「馬鹿と片輪」「愚民」呼ばわりする福沢が「支那兵の如(ごと)き」を自から「豚」「豚尾兵」呼ばわりをし、他記者の「豚狩」表記を許容することに、なんの不思議もなかった。」

アジアでの評価……。下「」引用。

「そのアジアでは、福沢は朝鮮人からは「わが民族の近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった、わが民族全体の敵」、台湾人からも「最も憎むべき民族の敵」「帝国主義的拡張論者」と見られている。」

文化工作員だったという評価……。下「」引用。

「牛場、井上角五郎らの任務であった朝鮮の「文明開化」援助も「福沢にとっては、侵略のための文化工作にしか過ぎなかった。」(尹健次(ユン・コンチャ)『朝鮮近代教育の思想と運動』東京大学出版会55)というきびしい評価を免れることはできない。」

当時の福沢は、国家平等観ではなかったという……。下「」引用。

「当時の福沢は、-略-国家平等観や「万国公法」の立場に立っていたのでは断じてなく、くり返し本人が主張していたように、「万国公法は…欧羅巴(ヨーロッパ)各国の公法にて、東洋に在(あり)ては一毫(いちごう)の働をも為(な)さず」(七四年七月「内は忍べ可(べ)し外は…」)というのがその国際関係認識であった。だからこそ、同年の台湾出兵で清国から巨額の償金を得たことを、日本人なら「誰か意気揚々たらざる者あらん。余輩も亦其(またその)揚々中の人なり。」と喜んだ(国家平等論者はずの)福沢は、結論として「抑(そもそ)も戦争は国の栄辱(えいじょく)の関する所、国権の由(よっ)て盛衰を致す所」(七四年一一月「征台和議の演説」)と主張し、翌年、「パワ・イズ・ライト権力は正理の源」という「諺」を「思はざる可(べか)らず。」(七五年一月「内地旅行西先生の説…」)と念押ししていたのである(後年のもっと率直な表現では、福沢は国家平等観を「国力平均の陳腐(ちんぷ)説」と罵倒していた」

策士としか思えない福沢……。下「」引用。

「当の福沢自身は、-略-自由民権運動陣営に敵対して、八二年の『帝室論』によって、「日本人民の精神を収攬(しゅうらん)する」基軸として、「愚民を籠絡(ろうらく)する…欺術(ぎじゅつ)」としての明治天皇制を主体的に選択した」







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