磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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戦時下のジャーナリズム

2009年03月01日 | 読書日記など
『戦時下のジャーナリズム』
   高崎隆治・著/新日本出版社1987年

ラジオのことが書かれてあった……。
--当時、ヒトラーが無料でラジオを配布したとおり、洗脳の道具であったろうと思う……。
今も垂れ流しのテレビの影響は大きい……。



■目 次■
序・八・一五とジャーナリズム  5
I 十五年戦争と新聞の犯罪  19
 日中戦争期の新聞  21
 太平洋戦争期日の新聞  38
 敗戦直前の新聞  53
II 十五年戦争と放送の犯罪  71
 NHK学校放送にみる集団狂気  73
 知られざる海外放送の実態  92
 「欠かせない情報源」の本当の意味  109
III 十五年戦争と雑誌の犯罪  127
 『現代』『公論』『創造』の存在理由  129
 婦人雑誌にみる五十歩と百歩  146
 戦場へ駆りたてた青年雑誌  163
 映画雑誌の“豪華さ”の秘密  180
 演劇誌・その画一性の内部事情  198
 時局を見通せなかった時局雑誌  215
  あとがき  231

読者に強要していた……。下「」引用。

「いや、総合雑誌だけではない。婦人雑誌・青年雑誌はむろんのこと、少女雑誌・幼年雑誌・文芸雑誌・時局雑誌など 、ありとあらゆる雑誌やる新聞が、戦うことと死ぬことを読者に強要してやまなかった。」

今も大手マスコミは、原子力推進を強要している。
--これほど、大きな問題なのに、取上げないことは異常である。

文芸春秋の一冊でも読めば理解できるという……。下「」引用。

「たしかに、八・一五を境に、いくつかの雑誌は姿を消して再び登場することはなかった。だが、主要雑誌や主要大新聞は、『現代』とほぼ同じかそれに近い姿勢と論説を掲げて読者の批判の鋒先きから身をかわそうとしたのである。その代表とみられるものが、たとえば『文芸春秋』の次のような論調である。
「(略)我々の過去の道はジクザグであった。あらゆる強要に対して家畜の如く従順であった。従順である以上に番犬の役を購って出た者もあった。今日の悔過の激しさを役立たねばならない。」(一九四五年号後記)
 これは、いささかでも権力に対して抵抗し、可能なかぎり自説を曲げなかった者の口にする言葉である。『文芸春秋』がなにをし、なにを言ってきたか、国民は死ぬことを「強要」したのは『文芸春秋』であり、「家畜の如く柔順」でなければならないことを説いたのも『文芸春秋』であった。そしてその「柔順」な国民の上に立って「番犬の役を購って出た者」も、ほかならぬ『文芸春秋』自身であったのだ。それは、当時の読者ならばだれ一人知らぬ者はない明白な事実である。もしそれを疑う者がいるとすれば、戦争下の『文芸春秋』を巻号にかかわりなく、ただの一冊だけ読むことだけで十分であろう。」

反戦の斎藤隆夫。下「」引用。

「「斎藤隆夫」といえば、日中戦争のまっただ中の衆議院本会議において反軍演説を行なったということで著名である。それは一九四○年二月二日のことで、先のコラムが掲載された三日付けの各紙はいっせいにその問題を大きく掲げた。-略-」

周知のごとく……。下「」引用。

「周知のごとく、政府は日中戦争をけつして「戦争」とはいわず、「事変」という呼称で押し通した。理由は「宣戦布告」を発していないかぎり「戦争」ではないというまったくの詭弁なのだが、事実としてそれは「建国以来嘗って経験せざる大戦争」であったことは紛れもない。念のためにことわっておけば、これは太平洋戦争のことではない。その二年も前の「支那事変」つまり日中戦争である。
 おそらく斎藤高尾は議会において「読売」の記述のように「嘗って経験さぜる大戦争」と言ったにちがいないし、戦死者についても「英霊」などとは言わず「屍を埋め」と表現したにちがいないのである。だとすれば、これは「微妙な差異」どころではないだろうが、少なくともいずれもが故意の翻訳記事であるかは明らかである。」

今も、このようなことがありすぎると思う……。

「小学生の時間」という番組があったという。下「」引用。

「私自身の経験に即していえば、一九三七年に六年生であった私は、「小学生の時間」を教室で聴取したことは一度もなかった。だが、他のクラスは国語や理科の授業を何度か受けていた。念のためにいえば、私の担任は正規のルートによらない代用教員出身であった。さらにいえば、夏休みのラジオ体操は学校全体としては半強制的であったが、私の学級は自由であった。さらにいえば夏休みのラジオ体操は学校全体として半強制的であったが、私の学級は自由であった。というより、私の観測に誤りがないとすれば、担任はそれに無関心であった。」

ラジオ体操も組み込むためのツールだったようだ……。下「」引用。

「つまり、夏休みのラジオ体操は、ラジオの普及率とは関係がないのである。「一家庭一台」というラジオの普及標語が完全に達せられていたとしても、子供たちは一時間もかかって学校を往復しなければならなかったのである。敗戦まで休むことなくつづけられたそれは、音楽と号令による学童の集団行動・集団統一の馴致(じゅんち)だったのである。号令をかけ、また号令をかけられて、いっせいに同じ動作を行なうことに馴れきった学校教育が、占領軍によって号令をかけての集団行動を禁じられた時、いったいどういう状況になったかといえば、体育の時間は児童たちを校庭で自由に遊ばせることのほかになすすべがなかったのである。」

「集団狂気」をつくりだした『国民学校放送』……。下「」引用。

「小学校が国民学校に改変されると同時に、『学校放送』は『国民学校放送』と改題した。そして、一九四四年・四五年の戦争末期になると、三十二ページだてのこのテキストはどの号を繰っても、教育を戦争目的の鼓吹に絞り込んで、妙な言い方だが、ここまでよく徹底化したものと感嘆の声をあげずにはいらない雑誌になる。戦争遂行に不必要な部分を削り落とし磨きぬいたその執拗なエネルギーは、決して少数者の気まぐれでもなければ、単なる保身のための迎合のようなものでもない。どう読んでみてもこれは徹頭徹尾本気である。日本放送協会全体といわないにしても、少なくとも『国民学校放送』関係者の「集団狂気」といってさしつかえないであろう。もし、当時の現場教師たちもこの「集団狂気」に陥っていたとするならば、明らかに彼等は『国民学校放送』の影響を受けたにちがいないのである。
 正直にいえば、これまでの永い年月、私は「少国民」を支配した教師たちは、いったいなにを教典に用いて子供たちみずからの信仰のために戦争のいけにえに供したのかがよくわからなかった。それは「教育勅語」や「御真影」であるとと推測できても、一つなにかが不足しているように思えた。しかしいま、その教典がわずか三十二ページのテキストにすぎない『国民学校放送』であったことに私は気がついた。嫌、『国民学校放送』という名の雑誌ではなく「国民学校放送」そのものといった方がよい。」

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INDEX

もくじ

演劇も戦意高揚……。下「」引用。

「戦争末期、最後に残った演劇雑誌は、わずかに『日本演劇』と『演劇界』の二誌だけであった。
 演劇が国家的に重要視されたのは、この国が近代が始まって以来、太平洋戦争期を措いてはなかった事実を思えば、いかにのるかそるかの大戦争とはいえ、これはまったく意外なことで、映画と並んで演劇が戦争遂行のための重要な武器であったという定説すら疑いを抱かせずにはおかないといってもけっして過言ではないだろう。
 だが、どう考えてみても、戦争下の演劇は、いわゆる「産業戦士」にとっても、また軍病院の傷病兵や軍人遺家族にとっても、映画とともにそれは最大の娯楽の一つであり、人びとの士気を鼓舞するためにも欠かせない重大な任務を背負う存在であったとしか思われない。むろんこのことを理解するためには、激場演劇だけではなく戦争下の移動演劇運動の在りようやそれについての詳細な説明がなけはればならないが、たとえば移動演劇隊の公演状況のごく一部を知ることだけでも事情はかなりのみこめるにちがいない。」

さくら隊も名前があがっていた。

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--国策……。

今でいえば、原子力は安全でクリーンで安い……。

これも、チェルノブイリ以上の事故によって、国家破綻まで考えられる……。

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チェルノブイリはあれでも、幸運だという……。

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1 コメント

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第4の権力者マスメデア (佐伯 学)
2009-03-01 13:34:52
真にもつともだと思います
コカコーラのCMで育つた世代としては怖さは
十分に認識していますし責任は取らないうえに
世論喚起的な番組まで作ります

さて今の派遣問題などは江戸の昔と変わらない
社会構造が問題です高利貸に口入屋もつと悪いのは明治に導入された科挙制度です
年貢のような税金等あきれて口は閉ざすだけです
マスメディアは事実のみ報道すれば良いと思っています
現在PCは有りません悪しからず
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