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日本の戦史 2 満州事変-第1次上海事変・熱河事変・ノモンハン事件-

2010年09月10日 | 読書日記など
『日本の戦史 2 満州事変-第1次上海事変・熱河事変・ノモンハン事件- 1億人の昭和史』
   牧野喜久男・編/毎日新聞社1979年

漫画「のらくろ」 下「」引用。

「漫画「のらくろ」が『少年倶楽部』に登場しエノケン一座が浅草で旗揚げした年 そして東北大冷害で娘の身売りが相ついだ年--昭和六年 日本はついにながい そして悲惨な戦争への道に足を踏み入れた」



「のらくろ」のような軍服を着ている日本兵の写真もありました。

「15年戦争の開幕 満州事変」 下「」引用。

「柳条溝の鉄路に仕掛けた謀略の導火線は 満州全土を戦火に包んだ 昭和六年九月一八日夜 関東軍参謀・石原莞爾が描いたシナリオ「関東軍満蒙領有計画」は 高級参謀・板垣征四郎の演出によって幕を空けたのである しかし 謀略の匂いをかいだ幣原外相が閣議で行った暴露戦術で政府は不拡大方針を決定参謀本部はこの方針に従って関東軍を規制した それでも独走を続ける関東軍に対して 参謀本部は天皇の統帥権の一部委任を受けるという“臨参委命”を大興戦の真っ只中に発動するという非常手段に訴えた この間 関東軍は着実に戦火を東北三省に広げるが 日本はそれに反比例して国際的に孤立化し 国際連盟を脱退 一五年戦争に入っていった」

満州事変編成の表があった。

「天津暴動も日本軍が点火」 下「」引用。

「六年一一月九日と二七日の二回にわたって天津は兵火に見舞われたいずれも“アジアのロレンス”といわれた土肥原賢二大佐が点火したものだった 第一次は清朝の廃帝・溥儀を混乱にまぎれて天津から脱出させ 「満州国」の執政に据えるため 第二次は戦火を拡大して世論をあおり 劣勢な天津軍を強化するためであった」

張作霖の息子、陸軍士官学校入学。下「」引用。

「張作霖には8人の子供があった 二男の学銘(右)は日本の陸軍士官学校入学のため昭和2年3月3日 東京に着いた 中央は夫人と娘」

「天皇のお怒り」張作霖爆殺。 下「」引用。

「侍従長は陛下のお怒りを語った。田中は
「拝謁のうえ、ご説明申し上げたい」
 といったが、
「陛下は、説明は聞きたくない、というお思召しです」
 田中は涙を流し、
「もはやご信任がないのである」
 といって退出、内閣総辞職となった。」

「石原莞爾の「哲学」」杉森久英(作家)著。

東条英機と対立で戦後人気。下「」引用。

「昭和二十年八月、日本が降伏すると、石原の人気は爆発的にふくれ上った。戦時中、東条をきびしく批判し、日本の敗北を予言した気骨が、改めて見直されたのだった。
 山形、秋田をはじめ、東北諸県に、東亜連盟の組織は急激に拡大し、政界をゆるがす一大勢力となるかと思われたが、右翼の復活をおそれるGHQによって解散を命ぜられた。
 その後石原莞爾は、もっぱら法華経の精神を弘布する運動を指導したが、昭和二十四年八月十五日、敗戦から四年目の記念日になくなった。東北地方の農村には、今日もなお石原莞爾の思想的影響を受け、彼を敬慕してやまぬ者が多い。」

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「死体を食べるブタ」一億人の証言……。下「」引用。

「早速、食糧用にブタ狩りが始まった。ところが、ブタ狩りが始まった。ところが、ブタがが遺棄された屍体を貪(むさぼ)り食っている。その凄惨さに兵たちも、さすがに慄然として手がすくみ、ブタ狩りをあきらめる一幕もあった。-略-」

九一式広軌牽引車

“英国のパートナー”日本。下「」引用。

「ただ、イギリスについては、少し違っていて、満州までならば、というところが少しありますね。」









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