磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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あの年の春は早くきた

2009年10月08日 | 読書日記など
『あの年の春は早くきた』
   C.ネストリンガー(作)/上田真而子(訳)/
     岩波書店1984年

「訳者あとがき」に書かれてあります。 下「」引用。
 
「この『あの年の春は早くきた』はネストリンガーの自伝的作品で、彼女のすべての作品の原点ともいうべきものだと思います。」



おばあさんは不服従……。下「」引用。

「-略-大声を出すのは、耳が遠いからだ。耳の遠い人は声が大きくなりやすい。その上祖母は、あいさつするとき、けっして「ハイル ヒトラー!」といわなかった。今、地下室に行けば、二階に住んでいるブレナー夫人がいる。ブレナー夫人はいつも「ハイル ヒトラー!」とあいさつした。そして、祖母のような人はゲシュタポにとどけなければ、と何度もいっていた。ドイツ民族の勝利を信じず、戦争に非協力で、総統(ヒトラーのこと)に従順でない、という理由でだ。
 わたしはブレナー夫人がこわかった。だから、サイレンじゃないといった。-略-」

ブレナー夫人は自決覚悟……。下「」引用。

「ブレナー夫人は、まだ「ハイル ヒトラー!」とあいさつしていた。週に一度、ブレナー夫人の家に窓ガラスをふきにゆくズーラさんの話だと、ブレナー夫人は多量の毒を用意したという。ソ連軍が来れば、自分もブレナーさんの子どものヘディも、そして犬も、みんなその毒で死ぬのだという。わたしは、犬がかわいそうでならなかった。-略-」

空襲で……。下「」引用。

「わたしたちのアパートは半分くずれ落ち、残りの部分は半分になった部屋がむきだしで、ちょうど人形の家のようだった。とほうにくれた格好で、ぽつんと一つだけ立っている、みすぼらしい人形の家だった。吹きぬけの階段の部分もなくなっていた。」

父、脱走兵。下「」引用。

「-略-「逃げてきたのさ。」と父はいった。「列車からな。機関車がもう汽笛を鳴らしていた。大混乱で、だれにも気づかれなかったよ。みんなニワトリみたいに走りまわっていた。こわくてこわくて、もう正気じゃなかったんだな。」
 -略-ドイツにつれてゆかれる列車に乗らず、ノイワルトエッグのベンチにすわっているのは脱走兵だ。脱走兵は射殺される。最近では訴訟や裁判すら行われず、ドンと一発、射殺だ。」

ソ連兵の噂。下「」引用。

「わたしの脳裏に、子どもをかかえて一目散に逃げたというあのSSの奥さんのことが浮かんだ。ソ連兵は女の乳房を切りとるという噂も、こま切れにされ塩づけにされる女の話しもいやおうなしに浮かんだ。「ソ連兵は恐ろしいですよ!」といった営林局長の姿も出てきた。-略-」








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