『正月とハレの日の民俗学』
宮田登・著/大和書房1997年
♪もう一つ寝ると寝正月!
ということで、手にした本です。
平安時代の宮中の清涼殿に『年中行事の障子』があったそうです。
年中行事にはそのくらい歴史があるというわけですね。
「節句」という文字は、本来は「節供」だそうです。
神霊に供物を供えるという意味だそうです。
江戸時代は、幕府が五つの節供を決めていたようです。
・一月七日の人日(じんじつ)
・三月三日の上巳(じょうし)
・五月五日の端午(たんご)
・七月七日の七夕(たなばた)
・九月九日の重陽(ちょうよう)
影響を与えたのは、中国の重日(じゅうじつ)の考え方。
お酒は特別な日に飲むものだったそうです。
ハレの日のものだったそうです。
正月は神祭りの月だそうです。
年内に疫鬼(えきき)を追い払うことになったといいます。
日本は古来、母系社会だったそうです。下「」引用。
「ところで日本の古代には、母親が名前をつけた風習もあったらしい。『日本書記』神代の巻には、トヨタマビメが自ら生んだ子にウガヤフキアエズノミコトと名づけたという記事がみられる。また皇室では母親に限らず乳母が自分の姓を皇子たちに与えていたことも知られている。実母か乳母の女性が命名に関与したというのは、古い時代の母系制社会の遺習かしもれない。」
京都の人はよく知っている十三参りのことが書かれてありました。
うなぎを使令にする水の神が、虚空蔵菩薩だそうです。
富士山侵攻は、弥勒浄土=富士山ということで、
流行したらしいですね。
今年も正月に拝まれている方もおられることでしょうね。
長嶋茂雄の若い日を思い出します。
またも愛宕信仰はかかれてませんでした。残念!
【正月本】
その1
もくじ[伝統・民俗・文化・風俗]
宮田登・著/大和書房1997年
♪もう一つ寝ると寝正月!
ということで、手にした本です。
平安時代の宮中の清涼殿に『年中行事の障子』があったそうです。
年中行事にはそのくらい歴史があるというわけですね。
「節句」という文字は、本来は「節供」だそうです。
神霊に供物を供えるという意味だそうです。
江戸時代は、幕府が五つの節供を決めていたようです。
・一月七日の人日(じんじつ)
・三月三日の上巳(じょうし)
・五月五日の端午(たんご)
・七月七日の七夕(たなばた)
・九月九日の重陽(ちょうよう)
影響を与えたのは、中国の重日(じゅうじつ)の考え方。
お酒は特別な日に飲むものだったそうです。
ハレの日のものだったそうです。
正月は神祭りの月だそうです。
年内に疫鬼(えきき)を追い払うことになったといいます。
日本は古来、母系社会だったそうです。下「」引用。
「ところで日本の古代には、母親が名前をつけた風習もあったらしい。『日本書記』神代の巻には、トヨタマビメが自ら生んだ子にウガヤフキアエズノミコトと名づけたという記事がみられる。また皇室では母親に限らず乳母が自分の姓を皇子たちに与えていたことも知られている。実母か乳母の女性が命名に関与したというのは、古い時代の母系制社会の遺習かしもれない。」
京都の人はよく知っている十三参りのことが書かれてありました。
うなぎを使令にする水の神が、虚空蔵菩薩だそうです。
富士山侵攻は、弥勒浄土=富士山ということで、
流行したらしいですね。
今年も正月に拝まれている方もおられることでしょうね。
長嶋茂雄の若い日を思い出します。
またも愛宕信仰はかかれてませんでした。残念!
【正月本】
その1
もくじ[伝統・民俗・文化・風俗]
「正月はなぜめでたいか」も面白いですね!
あまり考えたことがない視点ですが、気持ちがあらたまる
この時期にはタイムリーなお話です!
「政治家の定年制」も興味深いですね。
お正月にゆっくり遊びにこさせていただこぉっと。
おすすめいただいた 藤村屋さんのサイト、すごい!舌なめずりって感じですぅ。
早速購入検討中です。 買ったらご報告しますね♪
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年を!
ご老人の代表も大切だと思うんです……。
元気で能力のある方はおられると思います。
年の功より亀甲、亀甲より年の功と、
お互いを大切に思いやることこそが理想でしょうね。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。