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矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読

2009年10月05日 | 読書日記など
『矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読』
   矢内原忠雄・著/若林正丈・編/岩波書店2001年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「植民政策学・国際経済論の権威で無教会派クリスチャンとしても有名な元東大総長矢内原忠雄。「帝国主義下の台湾」は植民地台湾の経済と政治を、帝国主義理論と現地調査を含む豊富なデータに基づいて分析した著作であり、戦後の地域研究の出発点となった。編者は読者の理解に資するため本文に詳細な注を施し、矢内原の研究方法と時代情況について多角的に講究、本著作の歴史的・現代的意義を明らかにする。」



先住民は生蕃……。下「」引用。

「台湾の先住民は今日のいわゆる生蕃(せいばん)である。当時明(みん)朝これが政略を試みしも統治の実を挙げず、日本及び支那の海賊の根拠地となっていた。しかるにオランダは盛んに南洋東洋方面の植民地経略に進出し、一六○二年には東印度会社を設立し、一六○三年早くも澎湖(ほうこ)に来攻し、一六二四年対に台湾の西南なる鹿耳門(ろくじもん)より台江(たいこう)に入った。これに後るること二年にしてスペインは呂宋日本間の貿易保護を名として北部台湾の占拠を企て、基隆(キールン)及び淡水(たんすい)に上陸して築城したが、一六四一年オランダ人のために全く駆逐せられた。」

オランダと日本。下「」引用。

「日本人の台湾に拠りしはオランダ人よりも古くあった。すなわちわが戦国時代の末葉以来倭寇(わこう)るは今の基隆、淡水、台南、高雄(たかお)地方及び澎湖島を武力的に侵占し、南支方面襲撃の根拠地としたが、秀吉に至り書を「高山国(こうざんこく)」(すなわち台湾)王に寄せその入貢を勧めしことあり(文禄二年、西暦一五九三年)、徳川氏の初年には長崎の商人村山等安(むらやまとうあん)なる者高砂(たかさご)渡航の御朱印状を受けしことあり(元和元年、一六一五年)、海賊的掠奪の遺棄り進みて商業的活動に従事するに至り、台湾における地歩も固くオランダ人の統治が布(し)かかるに至りてもその威令に従わず、在住支那人の課せられし人頭課税にも服せず、寛永五年(一六二八年)には柏原太郎左衛門浜田弥兵衛(かしわばらたろうざえもんはまだやひょうえ)らの対オランダ領事損害要償談判の如き事件も起こったが、組織的な武力及び政治の後援なかりしためオランダ人の勢力を排除するに能わず、寛永十六年(一六三九年)徳川幕府の鎖国令と共に台湾との公の交通は壮絶することとなった。」

日本が台湾をえた時代背景が書かれてあった。それは列国の帝国主義的活動による植民地獲得競争の渦中であった。アメリカはフィリピンを手にいれていた時代でもある。

アメリカは昔も今も帝国主義である……。日本にも一部帝国主義の残滓が……。

明治製糖……。下「」引用。

「かくて台湾の産業資本化は商業資本家の活動によりて始められたが、既に企業勃興の機運に向かうや産業資本の供給は必ずしも商業資本を通じて行われることなく、かえって産業資本が商業資本を支配し、これと結合し、特約し、あるいは自ら商業資本的活動に従事する。たとえば明治製糖の内地販売は事故の娘会社たちる明治商店に、外国販売は自己の同一資本系たる三菱商事に独占せしめ、あるいは大日本製糖が販売自営に従事するが如くである。」

index

外部への発展があったという。下「」引用。

「台湾に進入してこれを資本主義化し、巨大なる独占段階にまで成育発展し蓄積せられたるわが資本は、更に台湾を基礎として台湾以外の地域に事業を及ぼし、その資本家的支配を拡張するに至った。製糖会社及び台湾銀行はその著例である。」







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