磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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流光 語り継ごう平和を 被爆50年

2009年01月31日 | 読書日記など
『流光 語り継ごう平和を 被爆50年』
   修道中学・高等学校記念誌「流光」委員会(編)/
     修道中学・高等学校1995年

「発刊によせて」で書かれてあります。下「」引用。

「今年の夏は、被爆五十年ということばを幾度となく耳にし、目にもした。原爆が広島に投下された、あの日からすでに半世紀が過ぎていったのである。しかし、被爆によってもたらされた「こころ」と「からだ」の深い傷はいまだに癒しきられてはいない。-略-
 本校では、この八月六日「語り継ごう平和を 被爆五十年」の行事を実施した。慰霊の式典と被爆体験を語り継いでいただく平和学習と記念誌の発行をその内容とした。被爆体験を語ってくださったのは、当時の修道中学二年生、それを聴いたのは、五十年後の中学二年生であったる今回初めて被爆体験を語るのだという方も多く、あの惨事を二度とはなしたくないという重い心を抱きながら、しかし、今語っておかなければという強い思いに突き動かされて語ってくださったのであった。-略-平和を守り続けていく努力を一歩ずつでもしていこうという決意の証しとして、この記念誌を読んでいただけたら幸いである。
   一九九五年一月四日
      修道中学校 修道高等学校校長 畑眞實」



「修道中学校戦災日記」 下「」引用。

「原爆被災の日から授業再開に至るまでの苦闘がみられる。校舎を失い、職員生徒に大打撃を受けた学校。市内は焦土と化し交通機関もない。その中を人を求め、生を求めて右往左往する人々の群れと異臭。伝統の学校を一日も早く復活させたいあせりと苦悩の記録である。この日記はザラ紙のノートにメモされたものを整理したものである。-略-」

中二だけが原爆慰霊祭に参加するという……。下「」引用。

「修道生徒の原爆死没者は一八八名で、そのうち一三六名が中学二年生でした。家屋疎開作業に動員されて、雑魚場町(市役所裏)で働いていたため、ほとんど全員が犠牲になってしまったのです。うらみを残して逝った先輩の事を、同じ年代の君達が偲び、その鎮魂の式に参列するのは意義のあることです。-略-」

平山郁夫のドラマがあったという。下「」引用。

「旧制修道中学校で教鞭をとっておられた景山英俊先生と日本画家平山郁夫(旧中39回)との師弟愛を中心としたドキュメンタリードラマ「炎の絵」が広島ホームテレビで製作され平成四年九月十五日に全国放送された。放映の日、九月十五日は、奇しくもこの作品の主舞台となる修道中学が焦土の中から立ち上がり、いち早く授業再開を敢行した記念日にあたる。-略-平山画伯は渾身をこめて名画「広島生変図」を描く。それはしていとの約束を果たし、散った友へ捧げる心の歌、平和への祈りだった。」

「母が守った学用品」 下「」引用。

「建物疎開先で被爆し、六日後に亡くなった長男の修道中二年勇樹さん(当時13才)が「空襲があったら、必ず持って出て」と自宅にまとめて置いていた。焼失寸前、母が運び出した。(中国新聞より抜すい94.4.25ヒロシマの形見)」











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