磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ウサギたちが渡った断魂橋-からゆき・日本人慰安婦の軌跡-上下

2009年06月24日 | 読書日記など
『ウサギたちが渡った断魂橋(どわんほんちゃお)-からゆき・日本人慰安婦の軌跡-上』
   山田盟子・著/新日本出版社1995年

日本の風土がうんだ「からゆき」さん……。下「」引用。

「お女郎、からゆき、慰安婦を生みだす日本の風土を、初巻で見窮(みきわ)めて頂きたいのです。
 そのウサギたちが渡った「断魂橋(どわんほんちゃお)」は、事実として南満州の鉱山の町に在りました。日本人街と中国人街との境堀に懸けられた橋なのでした。
 日本に在った人々の階(きざはし)は、アジアの解放を建前としたあの十五年戦中も、なんの反省もないまま、侵攻先先での差別を生んでいました。-略-」

キリシタン大名と奴隷輸出……。下「」引用。

「キリシタン禁教の前に、たくさんの庶民が、硝石の物納として、つまり奴隷にされて海外に移出されてましたようです。
“白銀海岸(シーサイドシルバー)”から送り出されたからゆき男女は、この奴隷が初まりであったのです。
 日本は鉄砲は真似して作れても、火薬の硝石がなかったのでした。その時期に-略-諸大名が洗礼を受けたのも、みんな火薬の硝石欲しさで、これがキリシタン大名の実像だという説を八切氏は私に語りかけました。」

少年マルテーや大村マンショは、外国での奴隷のことを書き残している。下「」引用。

「これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン三世から、ローマ法王庁に、
「ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだすのだから、神の御名において領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう」
 という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が、一五四一年四月七日、八年をかけて喜望峰まわりで日本へと着いたのだという。-略-」

戦闘教団?……。
理解できない部分もボクにはあります……。

こんな風呂屋があったのか? 下「」引用。

「その町の藤田呉服店の口ききで、こんどは長崎の風呂屋に出稼ぎにでたのです。ここでの仕事は、今のソープランド嬢のような仕事でした。風呂屋は二階建てとなっていて、一階が一人三厘の大衆風呂、二階は一人二銭から五銭で、サトはその二階で働いてました。」

「軍隊とつながる女衒」

イギリスでは……。下「」引用。

「イギリスの本国では、ジョセフィン・バトラーが、二十年も叫びづけた廃娼が、すでに明治二十二年(一八八九)四月に実施されることに成功したのでした。」

当時のサンフランシスコやハワイはこうだったのか? 下「」引用。

「サンフランシスコの珍田領事は、アメリカ太平洋岸での娘子軍四千六十六名を発表したのは、その前年の明治二十四年(一八九一)であります。
 サトが移民の話をきいた頃のハワイには、女房をからゆきに売りだすほど喰いつめた移民や、その仲介をするヤクザなどが、ひしめくところなのでした。」

「伊藤博文の売春のすすめ」

メイメョウ・避暑地の娼館……。下「」引用。

「言証さんはビルマでは、ラングーンのほかにメイメョウでの施餓鬼の写真を残しています。-略-
 メイメョウは、梅、桜の咲く避暑地であります。湖水を背にピンクの石楠花も咲くような高知の別荘地なのでした。ですからイギリス人の統治者や、金持の中国人のりっぱなセカンドハウスが並んでおりました。そのせいか写真のからゆきさんも、洋妾ぽい姿にみうけられます。
 このメイメョウは、太平洋戦争では、十五軍牟田口中将の司令部がおかれたところで、朝鮮人慰安所、広東娘の慰安所、高官洋としては大阪飛田遊廓からの「翠明荘」または「青葉荘」などなど、第二次娘子軍いえますところの「従軍慰安婦」が重なった土地でもあり、そのことは拙著『慰安婦たちの太平洋戦争』の続の二巻目にくわしくおさめました。」

国家公用公務員……。下「」引用。

「十三年の秋にも、南支派遣の古荘部隊参謀の要請で、四百人の「醜業を目的とする婦女」を軍用船で渡海させ、そのときの兵庫県への割当だけでも百人でありしまた。(「兵庫県警編」-略-)
 このときの名称の国家公用公務員といった呼名が、渡海慰安婦についておりました。
 海軍でも軍港などの海軍区から、同じように女集めをした形跡は、トラック島の取材のおり知ったものでした。-略-」

香港でも……。下「」引用。

「慰安所としては、『南海荘』があり、一階は喫茶室で、そこの姑娘はみな日本の映画女優の名前、田中絹代、高峰三枝子、桑野通子……等の名札が胸につけていた。
 彼女らに対しては、特別の要求はするなという表示がしてあった。
 二階は日本女子、三階は朝鮮人、四階は中国人の慰安婦の溜りであった。
 おもしろいことに、一階の姑娘は、二階以上の慰安婦を蔑視していた。-略-」

別の美名もあったという……。下「」引用。

「ところで一方で『特殊看護婦』『特志看護婦』『愛国奉仕隊』『女子戦国隊』などなどという美名で、必要数を達成させたし、内地で至難な分を、朝鮮、その他で補充したというのです。」

明治の人と、昭和の人……。下「」引用。

「戦中慰安婦よりいくらかしまなのは、当時は死ねばたとえ獣葬であっても、花魁墓に入ることもできたことでした。
 明治でさえこうなのに、当局惨案の戦中、戦後の軍隊慰安婦に、RAAも、その後五十年もなろうというのに、いまだ女たちは当局からみかえりがなされないことは、哀しいことです。」


『ウサギたちが渡った断魂橋(どわんほんちゃお)-からゆき・日本人慰安婦の軌跡-下』
   山田盟子・著/新日本出版社1995年

みずてん芸者……。下「」引用。

「鄭州で一二軍の隷下師団が通るたびに、師団のお偉方さんに献体された高島恵子の場合はこうです。
「私は北支那派遣軍の日本軍の将校クラブで働いていました。将校クラブ従業員というと体裁はいいのですが、俗にいうみずてん芸者という卑しい職業です。もっと分かりやすく書けば日本軍の将校用の慰安婦です。一般兵隊さんの慰安婦は当時、日本に虐待と屈辱を蒙っていた朝鮮の女性が狩り出されて相手をさせられていました」」

だまされたという……。下「」引用。

「言葉上手に何べんもすすめられるうち私はお国のためと、病気にいいという二つの餌につられ、また『女子報告隊志願』という美名にもだまされて、中国大陸に行くことになったのです」
 このことは朝鮮総督府から面(村)の警察までグルで女子を人肉市場に引出した例と、なんらかわりないことが日本の婦女子にもなされたことを物語っております。」

将校と心中したという。下「」引用。

「慰安婦の逃亡も時にはありますが、全部それは朝鮮人女性の逃亡で、日本人慰安婦の逃亡はそれまでありませんでした。ですから、私たちは便所にでもいっているのだろうと初めて思って、美枝子の姿を探しましたが、いくら探しても見当たらず、そのうち、伊藤上等兵が見つかったというのです。
 それがなんと、二人が逢い引き場所にしていた将校便所の中で、美枝子と一緒に首吊り自殺をしていたのです。あと六日経てば日本は敗れて伊藤上等兵の罪も消えるという間際のできごとでした。-略-」

「続発する将校の怪死」 下「」引用。

「二週間も経たないうち、便壺の中にころげ落ちた一将校の死体がみつかったのです。本部では酒を飲んで心臓麻痺で死んだと公表して、軍人の心の動揺を止めていました。あとでその嘘はわかりました。現地民の盗賊に用便中殴り殺されたのです。すでに、現地人は日本の敗戦を知っていて、頻繁に盗賊が営内の倉庫に盗み入るようになったいました。
 次に起こったのは裁判長の法務少佐が、またその便所で原因不明の死をとげたことです。たしか四夷三郎という大阪の人だったと思います。
 一説には、少佐は南支那の広東で米軍の女飛行士を死刑にしたことがあり、そのことで米軍から召喚されるのを恐れて自殺したと言われました。」

性病を治すために殺人し、生き肝をとった関東庁奉天警察伊藤警察隊久松分隊長。

性奴隷といわれることも表現してあった。

満人のレイプ……。下「」引用。

「突如として、ソ連の兵が攻めてき、逃走をはじめたところ、満人に襲われ、母は路傍で、出発前に開拓村で渡された青酸カリを飲んで絶えてしまいました。
 そこへ馬に乗った満人がきて、着物を脱がされてしまったのです。すっ裸にされた私たちは、ただ震えるばかり、そこを荒くれ男どもが交替、交替に、ようしゃなく襲ってくるのです。
 気狂いのように叫んだのも初のうちだけで、あとは放心したまま身をまかせていきました。-略-」

中国の妓館。下「」引用。

「--中国の妓館には、特等から五等まであって、特等は北京、南京、上海など古い都会にあったこと、特等妓館の妓女は、十六、七歳になると客とまみえるのであり、彼女らは庭園のある屋敷を構えて、多くの童女と付人にかこまれ、一般から隔絶された社会を守り、童女たちは妓女の予備軍なること、お金持ちは彼女の中から、第二、第三夫人を買ったこと、売れ残りは一等から五等まで転売されていったこと--を述べております。
 大連でも、済南でも、徐州でも、ハルピンでも、それこそ満州のみなならず中国大陸のすべての街に、大勢の妓女のいるところは、日本人も軍隊もおしかけているのですから、承徳にもそのような街区はありました。-略-」

ソ連兵……。下「」引用。

「『日本は負けたのだから、女を出せ』
 と、いうことになった……
 毎日ソ連兵が女の人を十人ぐらい連れていくのです。なかには連れていかれるのならと、自決する女の人もいました。
 ほとんど首吊りです。……女の人は指名ではなく、自分から立っていくのです。なぜなら、外にマキが積んであって、『女がでないのだったら、石油をかけて建物ごと燃やす』というのですから、女の人が出て行くのです。-略-(『女たちの遙かなる戦場』谷川三津枝)」







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