磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆モニュメント物語

2007年11月18日 | 読書日記など
『原爆モニュメント物語』
    広島県歴史教育者協議会(編著)/
         高橋磌一(序文)/汐文社1984年

この本の序文にあります。下「」引用。

「このたび世に出たこの『原爆モニュメント物語』は、広島県の歴史教育者協議会のみなさんが、長年の経験を生かし、調査と研究を重ね、実践で確かめた、しっかりした本であり、日本中の若者のためにまとめあげてくれたものである。」




表紙の像のことが書かれてありました。下「」引用。

「そのひとつひとつのモニュメントにはそれぞれの表情があり、歴史が刻まれています。なかでも「嵐の中の母子像」は、その彫刻のすばらしさで見る人に感動を与えています。」

原爆で「失われた町」、そのモニュメントとして「平和乃観音」。
--以下のように一文があるという。下「」引用。

「この地は明治、大正、昭和の初期、広島で最も繁栄の中心であった。昭和二○年八月六日 原爆一閃 町民全員一瞬にゆして悲惨なる最期をとげたり。生き残れる者有志相集まって平和観音像を建立し 永遠にその霊を慰む」
 原爆で町民の大半を失い、町名さえも残されていない「失われた町」の跡を永遠に伝えようとし、ここに人間が証しを訴えています。」

原爆ドームのことも書かれてありました。下「」引用。

「すぐそばの相生橋のきわに建っていた変電所や、もとの商工会議所の二階建ての木造はグダグダになっている。壊れた建物の前には焼けただれた死体が散乱していた。男か女かわからない。奨励館はそのままの姿で建っていたが天井から火を吹いている……」

--「教師と子どもの慰霊碑」
教職員が中心となって教師一口200円以上の募金で始められたという。
児童会・生徒会も募金活動したという。

朝鮮でできた米の半分以上を日本に輸出していた時もあったようだ。
もし、今日本がこんなことを米国にされたら、何人が餓死することでしょうね……。



そして金のない日本人は他国へ働きに出ないといけませんね。
--それなのに、アメリカ人に好きに働きに来ていると言われたら、むかついて当然ではないでしょうか?

一人だけの原爆モニュメントがあるという。下「」引用。

「一本の木の前にうずくまって祈り続けるこの老母にとって、ここは彼女だけの原爆モニュメントです。元安川と原爆ドームとの間、旧い相生橋の橋柱に接しているこの場所は改装されてしまい、いまでは正確な場所を確かめるのも困難です。しかし広島には、被爆者には決して忘れられないこうした場所が無数にあるのです。」




「原爆の子の像」についても書かれありました。

もくじ

原爆瓦で平和モニュメントを
--1983年8月5日、1000人の子ども参加、原爆ドームのすぐ南に「原爆犠牲ヒロシマの碑」が。

大田洋子の文学碑










もくじ





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