磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ひとり起つ-私の会った反骨の人-

2009年05月14日 | 読書日記など
『ひとり起つ-私の会った反骨の人-』
  鎌田慧・著/平原社2007年

いろいろな人のことが書かれてありました。



■目 次■

ひとりからの正義 矢野伊吉  8
一点の私心もなく 戸村一作  24
国を相手にたたかう 家永三郎  32
市民科学者の遺言 高木仁三郎  44
自立する精神 後藤安彦  53
沖縄からの風 大田昌秀  68
米軍から村をとりかえす 山内徳信  81
ぼくにも戦争責任はある 本島等  93
アンパンマンの正義 やなせたかし  106
『死霊』と格闘して六〇余年 埴谷雄高  124
闇を凝視めて 上野英信  136
放浪の果てに知った人の優しさ 灰谷健次郎  148
ナイーブな青年のままで 松下竜一  160
地獄絵の表現者となった妻と夫 丸木俊  165
異端児の見得 市川猿之助  177
銀幕に映らなかった登場人物 今村昌平  185
仕事、仕事、仕事 新藤兼人  197
ある名画座館主の戦後史 三浦大四郎  210
死者たちの声 青地晨  224
ひっけいな兄ぃ 本多勝一  233
大新聞からミニコミジャーナリズムへ 黒田清  238
歴史への参加、歴史の変革 斎藤茂男  250
あとがき  259


右翼から嫌がらせを受けた家永三郎。下「」引用。

「-略-老人のふたり暮らしである。
 かつては、右翼の一団が家の前に押しかけてがなりたてたり、コーラの瓶を路上に投げつけて威嚇したり、誹謗中傷するステッカーをちかくの電柱に張ったり、ビラを撒いたりしたが、いまでは静かになった。」

これでは言論の自由があるとは言えませんね。

高木仁三郎さんは三里塚でも活動していたという。下「」引用。

「東京都立大学の助教授のころである。彼は三里塚闘争(成田空港建設反対闘争)にかかわっていた。
 六ケ所村の核燃料サイクル施設の建設については、まだ財界や県は隠していた。だから高木さんに会ったにしても、核燃反対の運動のためではなく、開発反対の運動のためだった。高木さんもこのころは、原発よりも三里塚闘争のほうが忙しかったはずだ。現地のデモでもよく会うことになった高木さんは、ノンセクト・ラジカルの「黒ヘル」姿だった。」

もくじ

「沖縄からの風 大田昌秀」 下「」引用。

「一九四五年八月、二○歳になったばかり大田さんは、鉄血勤皇師範隊の一員として、摩文仁(まぶに)ケ丘(おか)にいた。沖縄師範の学生だったのだが、沖縄守備軍司令部に動員された学徒兵だった。
 情報部が受信した「大本営発表」のニュースを、地元住民の壕をまわってつたえ歩くのが任務だった。が、戦果の発表は目(ま)のあたりにする戦況とはあまりにもかけ離れていた。周囲は完全に米軍によって包囲されていた。彼は隙をついて米兵のテントに接近し、手榴弾を放りこんで食糧を奪ってくる、敗残兵のひとりにすぎなかった。」

右翼の破壊活動……。下「」引用。

「さらに、集団自決の現場となったチビリガマにつくられた『平和の像』が右翼によって破壊される(一九八七年一一月)」

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