磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ナチ強制収容所-その誕生から解放まで-

2009年11月10日 | 読書日記など
『ナチ強制収容所-その誕生から解放まで-』
   長谷川公昭・著/草思社1996年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「ナチはユダヤ人を殺そうとしただけではなかった。強制収容所体制の知られざる実態を描く。」



“山猫収容所”……。下「」引用。

「このようにして共産党、社会民主党の幹部だけでなく、労働組合の指導者、さらにはナチ体制に公然と反対する“不穏分子”までが弾圧の対象とれさ、「予防拘禁」を口実に逮捕された。その結果、ドイツ各地に散在する“山猫収容所”(政府機関や党機関から公認されていない強制収容所)は、これら逮捕者でにぎわった。-略-いずれにしても各収容所では、そのころすでに抑留者に対する突撃隊員や親衛隊員らによる拷問、虐待が始まっていたのである。」

囚人のノーベル平和賞者、カール・フォン・オシエツキ。下「」引用。

「収容所抑留中に一九三五年度のノーベル平和賞を受賞した。オエンツキの受賞の報を聞いたヒトラーは烈火のごとく怒り、一九三九年一月三十日付けで、以後、ドイツ国民はノーベル賞のたぐいをいっさい受賞してはならぬとの命令が出された。-略-」

「建材増産をめざすフロセンビュルク収容所」

親衛隊直属の営利企業「ドイツ土石製造会社(DEST)」 下「」引用。

「マウトハウゼン強制収容所の建設と並行してヒトラーが実行に踏み切ったのが、親衛隊直属の営利企業として「ドイツ土石製造会社(DEST)」」

イルゼ・コッホの趣味。下「」引用。

「希代のサディストで、“ブーヘンヴァルトの魔女”と呼ばれていたイルゼがそのころ趣味としていたのが、死んだ囚人の皮膚で作ったランプシェードやブックカヴァー、手袋のたぐいを収集することであった。イルゼが特に好んだのは、彫物をしている囚人の皮膚で作られた品々であった。新参の囚人で珍しい彫物をしている者がいると、その男をまず注射で殺させ、死体を病理研究棟に運ばせて、そこで彫物をしている皮膚の部分を慎重にはぎ取らせた。彫物をしている囚人の皮膚で作られたランプシェード、その他の製品は、イルゼがはやらせたためか、ブーヘンヴァルト収容所以外の強制収容所でも親衛隊員の間で引っ張りだことなり、需要に供給が追いつかないありさまとなったほどである。」

イルマ・グレーゼ。下「」引用。

「イルマは、成熟したユダヤ人女を選んでは、その乳房にむちを打ちふるって大けがをさせ、そのあと、その女を囚人女性医師のもとに連れていき、原型をとどめないまでに傷ついた乳房を容赦なく手術を施させた。しかもイルマはその手術に立ち会い、ほおを紅潮させ、くちびるにあわを浮かべながら、興奮した面持ちで手術の一部始終を食い入るように観察していた。-略-」

外科医カール・ゲプハルト教授。下「」引用。

「ラーヴェンスブリュック収容所では、ヒムラーの少年時代からの級友で、終生、ヒムラーの侍医でもあった外科医のカール・ゲプハルト教授が、囚人のなかの少女たちをモルモットにして生体実験に励んでいた。-略-」

「軍産政学複合体」と生体実験。下「」引用。

「これら各強制収容所での生体実験を統括していたのがヨーアヒム・ムルゴフスキなる親衛隊大佐で、ムルゴフスキ大佐はベルリンにある親衛隊衛生研究所の所長という要職の特権を利用して、強制収容所の囚人を使って生体実験を行う件についして、事前に各界の医学関係者の了解を取りつけるために精力的に動いた。一九四二年末から一九四四年にかけて本格的に行われることとなる強制収容所内での生体実験に先立って、ムルゴフスキ大佐が計画の実行について事前の承認と支持を取りつけていたのは、国防軍陸軍医務長、ハントローザー教授、ドイツ医師会会長、コンティ博士、ドイツ政府保健局長、ライター教授、ベルリンの国立伝染病研究所所長、ギルデマイスター教授らドイツ医学界の重鎮といっていい面々で、そのほかにイー・ゲー・ファルベン化学会社をはじめとする産業界からの協力の約束をも取りつけていたのである。その意味で、強制収容所内の囚人を使った生体実験は、ひとり親衛隊のみの責に帰すべきでなく、軍産複合体ならぬ「軍産政学複合体」による、ナチ体制あげての犯罪行為であったといわなければならないのである。」

「「背広を着た将軍たち」--イー・ゲー・ファルベンの重役陣」

「ユダヤ人たちを排気ガスで殺したガス・トラック」 下「」引用。

「-略-トラックの荷台の扉が封鎖されると、ホースを通じて排気ガスが荷台のなかに放出され、十分間ほどのうちに、なかのユダヤ人たちは窒息死するというのが殺人の工程であった。そのあとトラックの運転手は、死んだユダヤ人たちを乗せたまま、森のなかの施設までトラックを運転していく。そこには、鎖でつながれたユダヤ人人夫たちの一団が待機していて、荷台のなかの同胞の死体から金歯を抜き取り、結婚指輪のたぐいをむしり取ると、あらかじめ掘ってある穴のなかに死体を放り込む。-略-これがヘウムノ収容所で展開されていた日常の光景であった。」

「「甘い汁を吸った死の商人たち」 下「」引用。

「そのほかにも、クルップ、フリック、ジーメンス、AEG、テレフンケン(一九四一年にAEGの傘下に入る)といったドイツ産業界を代表する大企業も、戦時下にの強制収容所囚人を奴隷同然に使って距離を博していたのである。」

「囚人の反乱」もあったという。








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