磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母と子でみる17 毒ガス島

2009年06月10日 | 読書日記など
『母と子でみる17 毒ガス島』
   早乙女勝元、岡田黎子・編/草の根出版会1994年

図書館の説明文。下「」引用。

「母と子でみる戦争体験記録。今ではリゾート地として親しまれている瀬戸内海の大久野島、かつてここで毒ガス製造が行われていた。この事実を暗黒のベールに閉ざさずに語っていく。岡田の語り絵と合わせて当時の悲惨さを伝える。」



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「本書は、岡田黎子さんとのコンビで世に贈られるが、岡田さんの語り絵を存分に生かして、まことにユニークな戦争体験記録となった。ヒロシマのもう一つの顔に、光をあてることができたかと思う。すべては岡田さんの「そのことにこだわって生きてきた」執念によるものと言えよう。……いま私たちは、ヒロシマ・ナガサキ、東京大空襲を忘れてはいけないけれど、「大久野島」も過去のベールに閉ざしてはならないのだと思う。」

『大久野島・動員学徒の語り』(岡田黎子著、ジーン・イングリス英訳)という本が早乙女勝元の所に贈られてきたという。
南京大虐殺記念館に贈りたいと書かれてあった。下「」引用。

「南京大虐殺記念館というのは、正式には「侵華日軍(しんかにちぐん)南京大寓難同胞(とさつぐうなんどうほう)記念館」といって、その文字で想像がつくように、あの日中戦争のさなか、日本軍の侵略がもっともなまなましく象徴的に示された南京事件の記念館のことである。」

もくじ

動員された学徒たち……。下「」引用。

「当時の竹原高女三年生は、三クラスあって、一クラスの四七名だけが、大久野島動員となり、桑原さんはあいにくとそのなかに入っていた。もし他の動員先だったとしたら、毒ガス後遺症について悩むことはなく、学徒親和会に入ることはなかっただろう。-略-」

大久野島で毒ガス工場で学徒動員されていた人たちは、原爆投下された広島へ救護活動へいったという。

五種類……。下「」引用。

「主要な毒ガスは五種類で、通称「黄色一号」「黄色二号」「茶」「赤」「緑」と呼ばれていたという。」

癌……。下「」引用。

「学徒の癌死亡率は一般人の三・六倍以上になっております。私たちは子どもでしたが巻きこまれて参戦させられ加害者となり、そして同時に毒ガス傷害を一生涯もち続けることになりました。」

--ガス汚染 1944年12月
Mさんの歯茎がはれあがったという。
そして、枯れ松。当時の忠海中学の先生はいったそうだ。下「」引用。

「工場から出る黄色い悪臭のする煙を吸入すると、ノドが痛んだり頭痛がするし、その煙のあたる松は枯死していたので、この島では毒ガスが製造されているのではないか」と疑問をもたれたそうです。」

風船(気球)爆弾製造も絵とともに書かれてあった。

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