磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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初仕事は“安楽殺”だった

2006年12月07日 | 読書日記など
『初仕事は“安楽殺”だった』
    塩月正雄・著/光文社s53年

これは原爆投下時、救護活動をされた見習医官が書かれた本です。
この方が犯罪をおかしたのではなく、そういう医療しか現在もできないという現実があります。




 目次

まえがき
第一部大村海軍病院
白い閃光、そして爆風…………………………12
医者ぎらいが医者になる…………………………21
焦熱地獄からの第一便…………………………29
爆心地−目撃者の証言…………………………40
憲兵が泣いた−被災者の証言…………………………49
白い幻想…………………………57
櫛をください…………………………62
解剖にとりかかる…………………………70
患者たちの記録…………………………78
病院に終戦は来なかった…………………………88
捨てられた病理標本…………………………95
大村海軍病院をあとに−患者との別れ…………………………102
私の終戦−病理標本との長い旅…………………………111
人間学の探究…………………………118
もう一つの思い出…………………………121

第二部私の“原爆戦後史”
不可解な紙きれ…………………………132
科学者の良心…………………………134
もう黙ってはいられない!…………………………135
禁圧された国際医師会議…………………………141
原爆と医学…………………………158
再び原爆被害を受けた国民…………………………161
不治の病い“放射能症”−非力な原爆医学の現状…………………………173
原爆被害後の十年−科学の進歩も一人の努力から…………………………175
三十三年の「重さ」…………………………179
よみがえる八月九日−あとがきに代えて…………………………182
参考文献…………………………200


この本はいい本だとボクは思います。

長崎市の被爆地から地図で19.5kmも離れている大村海軍病院でも、原爆で退避したという。

病院長によって、原爆症による標本が捨てられたという。
「国破れて、何の学問ぞ」病院長はそう述べたという。
捨てられた所へいくと、ていねいに捨てられているので、標本として使用可能だったという。
だけど……。


軍は別天地であり、赴任すると、とくに士官クラスは、毎日のようにビーフステーキやとんかつが出され、どこにこんなものがあったのかと思うような料理ばかりであったという。

栄養失調から自身の子にも乳もやれない母。軍隊の裕福さとに比較し驚く著者。
貧しい人たちのために、「食糧盗賊」をされたそうだ。それは命を守ることだったろうとも思う。

アメリカの医学雑誌に次ぎのように掲載されたという。下「」引用。

「日本人が放射能によってこれだけ大きな犠牲を強いられたのは、ひとえに日本人の体質によるものであって、欧米人が被爆したとしても、これほどのことはない」


差別主義者は自国や同じ人種にも、ひどいことをしていますね。
事実は、白色人種にも被害があり、差があると読んだことはありません……。

目 次




著者は塩月弥栄子さんの夫だそうです。


著者の証言 1

著者の証言 2






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