磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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中国のなかの日本人

2009年06月25日 | 読書日記など
『中国のなかの日本人』
   梨本祐平・著/同成社1983年

今のではなく、戦中のことなどが書かれてある……。



生命線ではなかったのでは?……。下「」引用。

「初めて見る松岡洋右氏は、外交官出身というのにいが栗頭で、白哲明眉、見るからにその人にどことなく卓抜なものを感じさせた。松岡氏は私にこう言った。
「馬場君から話は聞いた。満州は日本の生命線だ。満州の経営ができなくて日本の経営ができなくて日本の発展はない。それなのに日本の政治家たちは、目先の政争ばかり気をとられて、満州のことは考えないようともしない。こんなことで日本は決して東亜をおさえてゆくことなどできるものではない。君はまだ若いし、せまい日本などでくよくよしていないで、広大な満州の天地に触れて大いに勉強してくるがよいだろう。僕もあと四、五日で大連に帰るから、大連でよく君の話を聞こう。-略-」

満州から、軍部や政治家は一番に逃げ出したのではないか?

吉田茂(後・総理)総領事館。下「」引用。

「「関東軍と満鉄とで何とかするものと思って、その成行きを見ている」-略-関東軍で軍事、外交、経済、治安の一切を支配している満州で、総領事館としては、手の尽しようもなかったことは間違いないことであった。しかし、それでいて吉田総領事の態度には少しも卑屈なところがなく、軍に媚びることも、満鉄に縋ろうとするところも、強いて東北政権に接近しようとするものでもなく、実に悠々たるものである。私は、彼が一個の異彩であることを感じた。吉田総領事は、官僚の大御所牧野伸顕の女婿で、一見傲岸であるが、話しているとユーモアもあり、非常に人なつかしい面も持っている。しかし、満州の問題にはあまり関心を持っていない。したがって、自分から渦中に飛びこむというようなことは考えてもいなかった。」

抗日分子を守ろうとした人たち……。下「」引用。

「夕方、朱華がきた。
「残念なら駄目だった。教授を抗日分子といって逮捕するというのだ。日本側の手で教授を救い出すことは全然望みがない。しかし、教授が何とか方針をたてられるまでの生活費は僕にもできる。」

しかし、事実は抗日分子でもなかったかもしれない……。

近衛首相との会談がうまくいかず、石原莞爾の所へ。下「」引用。

「それも参謀本部に訪ねていっても、忙しく落ちついて話している暇がない。そこで夜間石原少将の自宅を訪ねることにした。戸山ガ原練兵場の裏手ある石原さんの借家に行くには、高田馬場の省線から、自動車の通らないせまい路地をまがりくねって歩かなければならなかった。
 ここで私が不思議なことに気づいたことは、その路地には蛇のような憲兵の眼が光っていることであった。表面は石原さんの身辺を警戒するという口実があったが、内実は石原さんの動静を監視するのが本当の目的だった。石原さんの自宅をおとずれる訪問者はいつの間にかマークされて、要注意人物のリストに載せられてた。
 ちょうど私が訪問した時、軍事課長の影佐禎昭大佐が訪れていた。私が隣室で待っていると、石原少将の声で、
「今ならまだ間に合う。この一週間の間に解決しなければならぬ。もし中国と日本とが戦うようなことになれば、日本の敗けだ」
 とはっきりいっていた。-略-」

そして、馘首された石原……。下「」引用。

「京都で下車したのには目的があった。今は京都で閑居している石原さんと会うためである。石原さんは昭和十六年三月一日、京都の師団長を最後に、とうとう東条から馘を切られて、今では京都で閑居している。-略-
 石原さんは、京都の師団長を馘になった後も、京都に残って立命館大学で国防学の講義をしていた。-略-」









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