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靖国神社 岩波新書 黄版259

2009年10月19日 | 読書日記など
『靖国神社 岩波新書 黄版259』
   大江志乃夫・著/岩波書店1984年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「かつて靖国神社は、国民を「天皇の軍隊」に結びつけるきずなの役割を果たしてきた。今日では一宗教法人となっているが、近年、現職首相の参拝が慣行化し、また国家護持を求める動きも執拗にくり返されている。本書は、靖国信仰がどのようにつくられ、戦争への国民動員にいかに利用されたかをたどって、今日の靖国問題の意味を明らかにする。」



カトリックの大平正芳総理大臣。下「」引用。

「クリスチャン総理大臣である大平正芳首相については、クリスチャンが神社である靖国神社に参拝するかどうかが関心の的にされたが、大平首相もまた参拝した。-略-」

当時は、大臣の時だけ……。下「」引用。

「ある新聞は、大臣として八月一五日に靖国神社に参拝した政治家たちが、大臣になるまえ、あるいは大臣をやろたあと、一国会議員としての個人的立場で八月一五日に靖国神社に参拝しているかどうかを記事にしていた。調べた結果は、ほとんどの政治家が大臣の地位にあるときだけ八・一五靖国神社参拝をしていることがわかった。もっとも、最近は、「英霊にこたえる会」(一九七六年結成)という団体ができて、この団体に加入する保守政治家もふえ、靖国神社に参拝する政治家も次第にふえつつあるようである。-略-」

ひそかに合祀……。下「」引用。

「一九七九年四月一九日四月一九日、靖国神社が前年秋にひそかにA級戦争犯罪人の東条英機元首相ら一四名を合祀していた事実が判明したことであった。ひそかに合祀したこと自体が、当の靖国神社にとってもうしろめたい行為であったことをしめしている。-略-」

INDEX

明治維新以後に伊勢神宮……。下「」引用。

「伊勢神宮を天皇家の祖廟として強調するようになったのは明治維新後のことである。この考え方が(国民支配の政治原理に利用された」として、桜井徳太郎は、「すなわち天皇と国民とを親子の間柄(あいだがら)とみる家族国家観がそれである。天皇を親とみ、国民をその子とみる家父長的家族制度に擬制化することによって、家族国家の理念をとき、さらに家族国家の祖神を家父長としての天皇家の族祖神(ぞくそしん)、天照大神に比定した」(『宗教と民俗学』)と書いている。この記述は、国家神道と「家族国家」親との関係を端的に表現している。-略-」

靖国神社の大きな役割りは日露戦争以後。下「」引用。

「靖国神宮が国民統合の精神的中核として大きな役割を果たすようになったのは、日露戦争後である。靖国神社に合祀された日露戦争の戦没者数は、陸軍八万五二○八名、海軍二九二五名、合計八万八一三三名である。この数字は日清戦争の六・六倍以上に達する。-略-」

犠牲者=英霊……。下「」引用。

「戦争の犠牲者を「英霊」として国家がまつりあげようとするとき、その背後で、ふたたび「英霊」という名の戦争犠牲者が生みだされかねない状況が作りあげられようとしている。-略-」

著者の父(大江一二三)が作詞した『靖国の宮に、み霊は鎮まるも、をりをりかへれ母の夢路に』……。下「」引用。

「父が歌にこめた思いもおなじであろうが、私がいだいた素朴な疑問は、一身を天皇に捧げた戦死者の魂だけでもなぜ遺族のもとにかえしてやれないものか、なぜ死者の魂までも天皇の国家が独占しなければならないのか、ということであった。-略-」









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