『気骨の判決-東条英機と闘った裁判官-』
清永聡・著/新潮社2008年
NHKドラマ『気骨の判決』の主人公ですね。
表紙の裏に書かれてありました。下「」引用。
「命がけで東条英機と闘った裁判官--。政府に非協力的な国会議員を排除する意図があったとされる「翼賛選挙」では、政戦遂行の美名の下、国民の投票の自由を実施的に奪う露骨な選挙妨害が行われた。他の選挙無効の訴えが退けられる中、吉田久は、特高の監視や政府からの圧力に負けず、戦時中に唯一の「選挙無効」判決を下す。これまでほとんど知られることのなかった気骨ある判決と孤高の裁判官の生涯を追う。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/cc/06b7bd9d88a11314e05b1fa6cb73d445.jpg)
「まえがき」 下「」引用。
「国会議員を選ぶ選挙で、政党が存在しない。
その代わりに、事実上政府が定員と同数の候補者を推薦する。
もちろん気に入らなければ、その人に投票しなければいい。しかし、推薦候補者の選挙費用は国が出し、選挙運動は警察、道府県、市町村、さらには自治会レベルで後押しされている。地域によっては推薦候補者に投票しないと非国民と呼ばれてしまい、配給を止めるぞと脅される。さらに、誰に一票を投じたか調査される所まである。
どこかの独裁国家の話ではない。
日本で実際にあった選挙である。昭和十七年の衆議院議員選挙がそうだった。
主導したのは、当時の東條英機内閣であった。東條は「翼賛政治体制協議会」という組織を作らせ、要請を受けたこの“翼協”が、候補者の推薦を行う形をとっている。-略-」
非協力と共産党は壊滅……。下「」引用。
「共産党はとうに非合法化されて事実上壊滅していたし、そのほかの政党も自主解散していた。有権者にとて、どの政党の候補を選ぶか、という選択肢はない。その代わりが《推薦候補》か《非推薦候補》かを選ぶのであった。
時局に非協力的だとされた政治家は、鳩山一郎、尾崎行雄、三木武夫、斎藤隆夫、大野伴睦(ばんぼく)、片山哲、さらには二階堂進もいる。後の首相だけでなく、その後の所属政党も自民、社会、民社と幅広い。-略-」
その結果、軍部批判を封じ込めた。下「」引用。
「当時の内閣はなぜ、こんな強引な手段を取る必要があったのだろう。それは、軍部に対する議会の批判を封じてしまいたい、という思いがあったからだとされる。軍の方針に議会が異を唱えることで政策決定に時間がかかれば、戦争遂行上多大な支障があるというのだった。
百パーセントではないけれども、圧倒的多数の推薦候補者が議席を得たことで、東條内閣の目論見はある程度達成される。-略-」
「無効」! と判決! 下「」引用。
「そんな戦争も末期となる、昭和二十年三月。
突如、この翼賛選挙を無効だとする判決が言い渡された。それも、三権の残る一つ、「司法」の最高機関であり、戦後の最高裁判所にあたる大審院での判決だった。
言い渡したのは、当時の大審院第三民事部の裁判長、吉田久である。
判決文の舌鋒は、極めて鋭い。
--不法選挙運動は、組織的かつ全般的に行なわれた
--推薦候補者の当選を期するために選挙運動をなすことは、憲法および憲法法の精神に照らし、大いに疑(ぎ)の存する所
仮にこれが大審院の判決でなく、一般の公刊物であれば、間違いなく出版が許されなかっただろう。-略-」
「幻の判決」 下「」引用。
「-略-今もなお、現役の法曹関係者の中で、この判決を読んだことがある者はほとんどいない。
このため、吉田の業績は「幻の判決」と呼ばれることになる。」
「妨害と干渉の翼賛選挙」 下「」引用。
「投票直前の昭和十七年四月二十七日。今も残る日比谷公会堂は満員の聴衆で埋まった。その名も「翼賛選挙貫徹大講演会」が開かれたのである。既に太平洋戦争は始まり、日本軍は連勝を重ねていた。勝ちいくさの中で壇上に上がった東條英機は語る。
「民間においては候補者の推薦制が取られることとなり、これによって、ひろく大政翼賛会の人材を推せんとする貴い努力が払われることとなったのである。-略-国民諸君、願わくは南方万里の戦線にある将兵の労苦を思い、国民一致協力の体制を確保し、前線将兵をして後顧の憂いなく征戦の事にあたらしむるに至らんことを切望して止まない」
演説は、レコードになって保存されている。-略-」
三木武夫の証言があった……。下「」引用。
「警察はもう二十四時間来ておるわけです、特高がね。二人ばかり、事務所の者といっしょにいる。たまに来るというのではないんです。ビラを貼りに出ると、何かいやがらせをするらしくて、帰ってこない。つかまっているんですね。それから憲兵隊からはぼくに対して呼び出しが時々来る。直接介入ですよ」
「嘘の召喚状というのが来る。『何月何日、何々署に出頭すべし』と印刷した葉書なんです。それがぼくに投票しそうな有権者のところに来る。それで、その日時に警察に行くと、呼んだ覚えはないと言うんです。(中略)それが大量に来るんですよ。しかも各地でね。当時の警察というのは、今と違って怖かったんですよ。『おいこら』の時代ですから。そこから召喚状が来るものだから、だれだってもう『この選挙にはたずさわれない』という気持ちにさせられたでしょうね」(『昭和史探訪4』)」
他の議員の証言も掲載されていた。
司法の独立。下「」引用。
「吉田が強く願った裁判の独立は、ようやく、憲法の保障の下に置かれることになったのである。」
その独立を、裏金によって癒着システムにかえたのか?
そもそも、癒着しやすいシステムであるが、吉田のようにあったら、そんなことは考えられないだろう……。
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もくじ
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清永聡・著/新潮社2008年
NHKドラマ『気骨の判決』の主人公ですね。
表紙の裏に書かれてありました。下「」引用。
「命がけで東条英機と闘った裁判官--。政府に非協力的な国会議員を排除する意図があったとされる「翼賛選挙」では、政戦遂行の美名の下、国民の投票の自由を実施的に奪う露骨な選挙妨害が行われた。他の選挙無効の訴えが退けられる中、吉田久は、特高の監視や政府からの圧力に負けず、戦時中に唯一の「選挙無効」判決を下す。これまでほとんど知られることのなかった気骨ある判決と孤高の裁判官の生涯を追う。」
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「まえがき」 下「」引用。
「国会議員を選ぶ選挙で、政党が存在しない。
その代わりに、事実上政府が定員と同数の候補者を推薦する。
もちろん気に入らなければ、その人に投票しなければいい。しかし、推薦候補者の選挙費用は国が出し、選挙運動は警察、道府県、市町村、さらには自治会レベルで後押しされている。地域によっては推薦候補者に投票しないと非国民と呼ばれてしまい、配給を止めるぞと脅される。さらに、誰に一票を投じたか調査される所まである。
どこかの独裁国家の話ではない。
日本で実際にあった選挙である。昭和十七年の衆議院議員選挙がそうだった。
主導したのは、当時の東條英機内閣であった。東條は「翼賛政治体制協議会」という組織を作らせ、要請を受けたこの“翼協”が、候補者の推薦を行う形をとっている。-略-」
非協力と共産党は壊滅……。下「」引用。
「共産党はとうに非合法化されて事実上壊滅していたし、そのほかの政党も自主解散していた。有権者にとて、どの政党の候補を選ぶか、という選択肢はない。その代わりが《推薦候補》か《非推薦候補》かを選ぶのであった。
時局に非協力的だとされた政治家は、鳩山一郎、尾崎行雄、三木武夫、斎藤隆夫、大野伴睦(ばんぼく)、片山哲、さらには二階堂進もいる。後の首相だけでなく、その後の所属政党も自民、社会、民社と幅広い。-略-」
その結果、軍部批判を封じ込めた。下「」引用。
「当時の内閣はなぜ、こんな強引な手段を取る必要があったのだろう。それは、軍部に対する議会の批判を封じてしまいたい、という思いがあったからだとされる。軍の方針に議会が異を唱えることで政策決定に時間がかかれば、戦争遂行上多大な支障があるというのだった。
百パーセントではないけれども、圧倒的多数の推薦候補者が議席を得たことで、東條内閣の目論見はある程度達成される。-略-」
「無効」! と判決! 下「」引用。
「そんな戦争も末期となる、昭和二十年三月。
突如、この翼賛選挙を無効だとする判決が言い渡された。それも、三権の残る一つ、「司法」の最高機関であり、戦後の最高裁判所にあたる大審院での判決だった。
言い渡したのは、当時の大審院第三民事部の裁判長、吉田久である。
判決文の舌鋒は、極めて鋭い。
--不法選挙運動は、組織的かつ全般的に行なわれた
--推薦候補者の当選を期するために選挙運動をなすことは、憲法および憲法法の精神に照らし、大いに疑(ぎ)の存する所
仮にこれが大審院の判決でなく、一般の公刊物であれば、間違いなく出版が許されなかっただろう。-略-」
「幻の判決」 下「」引用。
「-略-今もなお、現役の法曹関係者の中で、この判決を読んだことがある者はほとんどいない。
このため、吉田の業績は「幻の判決」と呼ばれることになる。」
「妨害と干渉の翼賛選挙」 下「」引用。
「投票直前の昭和十七年四月二十七日。今も残る日比谷公会堂は満員の聴衆で埋まった。その名も「翼賛選挙貫徹大講演会」が開かれたのである。既に太平洋戦争は始まり、日本軍は連勝を重ねていた。勝ちいくさの中で壇上に上がった東條英機は語る。
「民間においては候補者の推薦制が取られることとなり、これによって、ひろく大政翼賛会の人材を推せんとする貴い努力が払われることとなったのである。-略-国民諸君、願わくは南方万里の戦線にある将兵の労苦を思い、国民一致協力の体制を確保し、前線将兵をして後顧の憂いなく征戦の事にあたらしむるに至らんことを切望して止まない」
演説は、レコードになって保存されている。-略-」
三木武夫の証言があった……。下「」引用。
「警察はもう二十四時間来ておるわけです、特高がね。二人ばかり、事務所の者といっしょにいる。たまに来るというのではないんです。ビラを貼りに出ると、何かいやがらせをするらしくて、帰ってこない。つかまっているんですね。それから憲兵隊からはぼくに対して呼び出しが時々来る。直接介入ですよ」
「嘘の召喚状というのが来る。『何月何日、何々署に出頭すべし』と印刷した葉書なんです。それがぼくに投票しそうな有権者のところに来る。それで、その日時に警察に行くと、呼んだ覚えはないと言うんです。(中略)それが大量に来るんですよ。しかも各地でね。当時の警察というのは、今と違って怖かったんですよ。『おいこら』の時代ですから。そこから召喚状が来るものだから、だれだってもう『この選挙にはたずさわれない』という気持ちにさせられたでしょうね」(『昭和史探訪4』)」
他の議員の証言も掲載されていた。
司法の独立。下「」引用。
「吉田が強く願った裁判の独立は、ようやく、憲法の保障の下に置かれることになったのである。」
その独立を、裏金によって癒着システムにかえたのか?
そもそも、癒着しやすいシステムであるが、吉田のようにあったら、そんなことは考えられないだろう……。
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