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陸軍中野学校 平凡社新書 335

2010年09月17日 | 読書日記など
『陸軍中野学校 平凡社新書 335』
   斎藤充功・著/平凡社2006年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「昭和十三年、諜報、謀略、防諜活動のりための工作員養成を目的に作られた陸軍中野学校。謀略戦のプログラムを習得した戦士たちはそれぞれの戦地で、各種工作に従事した。彼らは中野で何を学び、その後いかなる活動を行っていたのか。そして戦後に何を遺したのか。知られざるスパイ学校の実態と、謎の国策会社「昭和通商」との関係を探る。」



「昭和通商」と陸軍中野学校。下「」引用。

「本書は、「昭通」と呼ばれていた組織の謎解きから筆を進めた、陸軍中野学校の新たなドキュメントである。昭通が創立されたのは中野学校開校一年後の一九三九年(昭和十四)四月二十日であった。中野学校と昭和通商は、情報と諜報の分野で謀略工作を各方面で画策し、軍の機密費を調達していた。」

公式資料。下「」引用。

「昭通が存在したことを証明する公式の資料はほとんど残されていない。唯一見つけることができたのは防衛研修所史室(現在は防衛研究所戦史部)が編纂した戦史叢書の一冊『陸軍軍需動員2 実施編』に納められている「昭和通商株式会社の設立」というものであった。」

--児玉誉士夫のロッキードー事件で、表面化した「通商」。GHQ文書にあったとう。
ヘロイン取引をやったことを語る児玉の記録が残っていた。
そのヘロインは、タングステンと交換されたという。

闇値で買った児玉。下「」引用。

「問い 昭和通商は、なぜ直接買わずに、あなたに頼んだのですか。
答え 製薬会社は公定では引き合わないので、品物があっても、ヤミ値でないと売らないのです。当時、医者意外の者が大量に入手する場合は、正面から軍が命令しても無いといって売らないから、仲介人をいれてヤミ値で売買するのです。」

国際記者の走り・大森実の児玉誉士夫にたいするインタビューも掲載されていた。下「」引用。

「児玉 いや、私は金塊に不自由しなかったんです。東京の大蔵省が、無刻印ですよ。無刻印の金塊を作りましてね。」

資本金、「1500万円」。下「」引用。

「国策会社という理由から株主に選ばれた民間会社は三井物産、三菱商事、大蔵商事の三社で、それぞれが三等分して資本金を醵出した。一社、五百万円の出資でした。しかし、三菱は昭通の前身であった「泰平組合」という中古兵器を輸出する組合に参加していなかったため、出資金は減額されたという説もある。」

維新政府と阿片と里見。下「」引用。

「維新政府とは、北京の北支那方面のバックアップで作られた中華民国臨時政府に対して支那総軍が梃いれして南京を樹立させた政府のことで、両政府とも親日中国人士を指導者に据えており、臨時政府側は上海に戒煙総局に置いた。しかし、それは単なる形式だけでの組織であって、実験は上海の陸軍特務部が握っていた。
 理由は「阿片」の独占であった。この里見は中国名“李鳴”の名を用いて、阿片売買を仕切る宏済善堂の副理事長として辣腕を振るい、上海では「阿片王」と呼ばれていた人物であった。」

社員ですら知らなかった。そして中野学校の卒業生が……。下「」引用。

「社員であった山本すら、昭通の実態を知ったのは戦後であった。その記録を残すためにOBたちの証言を集めているなかで、昭通が行っていた裏ビジネスの世界を聞かされたのである。
 そして、「確かな記録はほんの一片を残しているのみで現存しない」とも書いている。その一片の記録とは「昭和通商株式会社の設立」という防衛研修所戦史室が収集した保存資料であることに間違いあるまい。確かなことは、中野学校の卒業生が昭通社員になりすまして情報収集や諜報・謀略活動に深くコミットしていたという事実を、山本の著書が証明してくれたことである。」

MPと闇資金。下「」引用。

「ところが和歌山ユニットが押収した肝心の、八トンの生阿片は証拠品として裁判所に提出されることはなかった。八トンの生阿片の末端価格は当時で少なく見積もっても一兆円をくだらない金額であった。では、証拠品はどこへ消えてしまったのか。押収したのは日本側が手を出せない聖域のGHQである。占領下の日本側官憲が証拠品について詮索することは一切認められていなかった。
 伝聞によると、生阿片はMP(軍警察)に護送された軍用トラック三台に載せられて和歌山から東京に向かったという。しかし、その先は闇の中である。幻の昭通を語る生資料は今日存在しない。消えた一生円の生阿片。それは、戦後日本軍復興の秘密資金として使われた説もあるが、真相は六十年経った今日に至るも、時間という歴史の闇のなかに封印されてしまった。-略-」

陸軍軍医学校と衛戍病院の敷地あった「科学的防諜機関」。

術科……。下「」引用。

「術科といえばスパイ専門教育の技術も叩き込まれた。万年筆やライターに仕込まれた超小型カメラの操作、テープレコーダー(ワイヤーレコーダーの誤りか)を相手に知られずに装置しての盗聴、暗号文作成、解読、防諜的配慮が施された機密文書の盗読、細菌戦の基礎知識、扱い方、毒薬、毒ガスの使い方や、爆発物(ダイナマイト、小型爆弾、手榴弾など)の駆使による敵鉄道の爆破。橋梁、送電線の切断など、姿なき間諜へと駆りたてられていった。」











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