磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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司馬遼太郎作品の女性たち

2006年12月10日 | 読書日記など
『司馬遼太郎作品の女性たち』
    北影雄幸・著/文芸企画2006年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「大河ドラマ『功名が辻』の千代の魅力
明日はきっとよくなる--
戦乱の世を
プラス思考で明るく生き抜き
豊臣秀吉をして
「日本一の妻女」と言わしめた
山内一豊の妻・千代の人間像に迫る」



本日で『功名が辻』が終了しましたね。
大変おもしろかったですね。

表紙に書かれてあります。下「」引用。

「司馬遼太郎の描く女性を大別すると、二種のタイプに分けられる。人は明るく前向きなタイプ、一つはたおやかで清楚なタイプである。前者を代表するのが、「功名が辻」の千代や『新史太閤記』の寧々、『夏草の賦』の菜々といった女性で、後者を代表するのが、『燃えよ剣』のお雪や『世に棲む日日』のお雅、『竜馬がゆく」の富子といった女性である。」
「そしてこの両者に教つしている点は、いずれの女性も、「凛」とした生き方を貫いていることである。己れの命を凛と生きぬく精神のたたずまいのよろしさが、彼女たちの生きざまをなお一層美しいものにしている。その意味で、「凛」という言葉は、司馬の女性観を読み解くキーワードともいえる。」


やはり司馬遼太郎はいいことを書かれていますね。下「」引用。

「--民力を痩せさせれば自然、諸大名の富力も尽きる。富力さえなければ戦争はおこすまいゆえ、自分の死後、秀頼の天下は安泰であろう。というものが、秀吉の政策であった。すべて秀頼を愛することにのかかっている。この幼児ほど、天下四民に迷惑をかけた子は古来なかったであろう。--」


豊臣政権の末路は恐怖政治で自らの欲望を果たすためだけに生きている人たちがいたようですね。

一豊の妻は京都好きです。下「」引用。

「そこで千代は思い出のつまった京に住みたい心底おもった。かつて千代は北政所に、「千代も年をとれば、京の市中にでも小さな庵(いおり)をたてて、物売り女などをよび入れてはさまざまに昔ばなしを楽しもうと思います」
 といったことがあり、一豊にも、
「京都に住もうかしら、京は四季が美しいし、人がおもしろいし」
 と語っていた。乱がおさまれば京に住み、京にしかいない知識人や詩人や絵師とまじわり、ひまひまには新しい小袖などをつくって、都の子女に着せてみたい、と考えていた。-略-翌慶長十一年(一六○六)、千代は五年あまりをすごした土佐を去って、京へ移り、隠居生活をはじめた。」

京都にお墓があるようです。下「」引用。

「千代の亡骸(なきがら」は、夫・一豊と幼くして地震で死んだよね姫の眠る京の妙心寺に葬られた。
 この一豊は堂内にある。無縫塔(むほうとう)と呼ばれる卵のような形をした墓が二つ、寄りそうように並んでいる。しかもまったく対等で大小なしである。めおと墓というべきか、二人の睦(むつま)じさを思わずにはおれぬ墓である。」



他の女性のことも、もちろん書かれてあります。

なかなか、おもしろい本でした。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (edible)
2006-12-10 23:54:07
こんばんは。
最近「国盗り物語」を読み始めていて、ちょっとタイムリーでした。自分が岐阜出身、ということもあり、今年は実家に帰ると、「千代と一豊の愛した岐阜」とか言っちゃって、それなりに盛り上がっていました。
ちなみに「国盗り」は、よく知っている地名も多く出てくるので個人的には超臨場感!って感じです。
この、司馬さんのストーリーの女性観の話し、とっても興味深々です。
こんど探してみます。
返信する
書き込みありがとうございます。 (磯野鱧男)
2006-12-11 07:54:06
>最近「国盗り物語」を読み始めていて、ちょっとタイムリーでした。

たしかに面白いですね。ぼくの子供時代、
NHK大河ドラマになった作品で、
枚方パークの菊人形を見た記憶があります。
すごいブームという感じでした……。

今は国盗りというよりも、
「(税)金盗り物語」ですね。
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