磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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花の幻 続・平和を作る人たち

2007年10月16日 | 読書日記など
『花の幻 続・平和を作る人たち』
   安藝基雄・著/みすず書房1985年

この本では、青酸カリによる集団自決のことや、石井部隊のことについてなども書かれてありました……。



軍医だった著者。

石井部隊は故石井四郎軍医中将が京都大学医学部出身であり、同部隊に関係した医学者に京都大学出身者が多かったという……。

石井部隊だけではなかったという。
--南京の中支第一六四四部隊が、細菌戦部隊であり人体実験をしたという。
この部隊の医学者の多くが東大出身であるという。

東大の教授もこれら医学者の人選に何らかの関与を示していた可能性があるという。下「」引用。

「私の友人湯沢君が軍医として満州に派遣されそうになった時、生化学の教授(医学部だった)の柿内先生が『君は満州に行ってある仕事をやってくれないか、そこでは君のやりたいと思う実験が自由にやれるのだ。たとえば病菌を支那人に注射してその結果を見ることも自由だ』と言われたという事です。湯沢君は『私は軍医者として人を救うのが天職だと思うから、そんな実験をすることはできません』と言ったら、満州は不適当と思われて、南方のクアラルンプールに回され、長いこと(約六年間も)そこに居らされ、戦争が終わっても何年間も帰してもらわれませんでした。」

この部隊での人体実験を苦にして、東大伝染病研究所の助教授の一人が終戦後自殺したという。


--大平正芳。
昭和13年度の日本の輸出品で、貿易統計で一番多かったのが、アヘンの40%。
正式なルートで中国にアヘンを売っていたという。
アヘンは経済第一課担当で、大平正芳が課長だったという。

著者は「核戦争」になったら、安楽死のことを書いている。
しかし、薬を用意しても、服用や注射もおぼつかないだろうと書いている。
--平和と呼ばれる時代に生まれたボクは驚きましたが、戦時軍医だった人が書かれています。

--集団自決などが伝えられている開拓団の婦女子などに、毒物が出回ったという。下「」引用。

「問題の性質上、文献その他の資料からこれを確認することはきわめてむつかしいが、その一例として、終戦当時の苦難の道程を回顧した『関東軍火工廠史』後編に具体的な記載を見ることができる。女性の手によって「細いガラス管に青酸加里1gを入れて、ガスで口を閉じ、中央へヤスリで、切目を入れる」仕事が行なわれる一方、軍医が犬を使って死亡状況を確認する実験も行った様子が記されている。提案は部隊長、婦女子の護身のため、あるいはいつでも死ねるという自信を持つため等その目的とすることも必ずしも一致せず、また初期は婦女子のみを対象としながらも、結局全員に手渡すほどの数量に達していたと考えられるが、この場合は幸い犠牲者は少なくてすんだ。」

そして、長崎の救護活動でも、軍医は『各自ポケットに一包の自決用青酸カリを携行していた。』という。

広島の被爆者の間には、医師の自殺もあったという。

ウィルフレッド・バーチェット記者は、同盟通信社のモールス信号機で東京へ打電したという。

バーバラ・レイノルズ女史(アメリカ)のことを称讃されています。





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