『上杉鷹山の失敗に学ぶ-トップダウンで大組織を改革するために-』
藩政改革に学ぶ会・著/創栄出版2003年
トップダウンで改革にするにしても成功するためには、そのトップにその資格が必要なようだ……。
無気力だった……。改革以前……。下「」引用。
「--米沢藩では、どの階層の方が最も危機感を抱いていたのですか?
斉定 重定が藩主であった頃は、殆どの人が危機感を持たなかったか、感じていても無気力になっていて、危機感を持って行動したのはたった二人の幹部、奉行の竹俣当綱と藩主の側医であった藁科松伯だけでした。」
改革音頭で踊りをおどったとしても、無気力は無気力だろう……。
index
守旧派の人たちは加わらなかった……。下「」引用。
「--竹俣と藁科は、鷹山の藩主就任に先立ち、周到な準備をしたとのことですが、守旧派の人達も加わったのでは?
斉定 殆ど参加していません。竹俣と藁科は、当時、専制・恐怖政治を敷いていた小姓頭の森を恐れて二人の力で出来る範囲で動いており、森抹殺という計画以外は彼等とは何も相談していません。
竹俣等は、鷹山の代に改革を実施する際、
1.藩主の言動が倫理的に高い水準にある事。
2.藩主から民に至るまで全員が危機感を共有し、一体感を持って改革に取り組む事が出来る風土を醸成しておく事。
が必要と考え、二つの施策に取り組みました。-略-」
最重要生産奨励産品。下「」引用。
「蝋および漆木は、灯用として今後共全国規模で需要が見込めるので、最重点生産奨励産品と位置づけ漆木の復活に力を注ぐ方針を打ち出しました。」
重要産物、青苧(麻)。
養蚕と絹織物。
日産のゴーン改革。下「」引用。
「高度成長時代の名残りの“協力会社と一体にのなって事業を拡大していく”という長い間継続されてきた大方針を転換する事ですから、トップ自らが撤廃しようと言わない限り、担当段階では頭では判っていても実行に移すことが出来ないテーマだった記憶があります。」
もくじ
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藩政改革に学ぶ会・著/創栄出版2003年
トップダウンで改革にするにしても成功するためには、そのトップにその資格が必要なようだ……。
無気力だった……。改革以前……。下「」引用。
「--米沢藩では、どの階層の方が最も危機感を抱いていたのですか?
斉定 重定が藩主であった頃は、殆どの人が危機感を持たなかったか、感じていても無気力になっていて、危機感を持って行動したのはたった二人の幹部、奉行の竹俣当綱と藩主の側医であった藁科松伯だけでした。」
改革音頭で踊りをおどったとしても、無気力は無気力だろう……。
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守旧派の人たちは加わらなかった……。下「」引用。
「--竹俣と藁科は、鷹山の藩主就任に先立ち、周到な準備をしたとのことですが、守旧派の人達も加わったのでは?
斉定 殆ど参加していません。竹俣と藁科は、当時、専制・恐怖政治を敷いていた小姓頭の森を恐れて二人の力で出来る範囲で動いており、森抹殺という計画以外は彼等とは何も相談していません。
竹俣等は、鷹山の代に改革を実施する際、
1.藩主の言動が倫理的に高い水準にある事。
2.藩主から民に至るまで全員が危機感を共有し、一体感を持って改革に取り組む事が出来る風土を醸成しておく事。
が必要と考え、二つの施策に取り組みました。-略-」
最重要生産奨励産品。下「」引用。
「蝋および漆木は、灯用として今後共全国規模で需要が見込めるので、最重点生産奨励産品と位置づけ漆木の復活に力を注ぐ方針を打ち出しました。」
重要産物、青苧(麻)。
養蚕と絹織物。
日産のゴーン改革。下「」引用。
「高度成長時代の名残りの“協力会社と一体にのなって事業を拡大していく”という長い間継続されてきた大方針を転換する事ですから、トップ自らが撤廃しようと言わない限り、担当段階では頭では判っていても実行に移すことが出来ないテーマだった記憶があります。」
もくじ
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