『災害ユートピア
-なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか-』
レベッカ・ソルニット(著)/
高月園子(訳)/亜紀書房2012年
原書名 A paradise built in hell
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/4b/ae5dc5c531c15bd27a70f266670574c2.jpg)
帯に書かれてあります。下「」引用。
「不幸のどん底にありながら、人は困っている人に手を差し伸べる。人々は喜々として自分のやれることに精を出す。見ず知らずの人間に食事や寝場所を与える。知らぬ間に話し合いのフォーラムができる……。なぜその“楽園”が日常に生かされることはないのか?
大爆発、大地震、大洪水、巨大なテロ--
いつもそこにはユートピアが出現した
『ニューヨークタイムス』2009年度の注目すべき本に選出」
たゆまぬ努力を知らないサッチャー……。下「」引用。
「イギリス保守党のマーガレット・サッチャー元首相は「他に選択肢はない」とよく言っていたが、選択肢は必ずあり、それは、たゆまぬ努力でそれを育んだ場所だけでなく、最も意外な場所にも現れる。世界を変えるには、自分自身の救済を想像すればいいのであり、ユートピアに向かおうとする衝動は寛容なので、たとえ方向が誤っていたとしても、自分自身だけでなく他の人々をも救済する。そして、一種のユートピアは今もアルゼンチンに、メキシコに、インドに、アメリカに、ヨーロッパの無数の社会的経済的な実験や農業の新しい取り組みが出現している。-略-」
サッチャーというニセ政治家と同様のペテン師ばかりが目につく日本の国会。
権力が……。下「」引用。
「サンフランシスコは「自らを滅ぼした都市」と呼ばれたが、王が国ではないし、政府が国民ではないのと同じく、サンフランシスコを破壊したのは町でもその市民でもなかった。それは権力を握る少数の男たちと、大挙して押し寄せた州兵や兵士たちだった。彼らはただ火の手や、暴徒や泥棒--またはその予備軍としてくり返し描かれてきた群衆--から町を守っただけだと主張したが、建築物と貧困から成るその町の大部分を破壊しつくした。だが、市民の対処の仕方は違っていた。彼らは互いに助け合い、そもそも市の本質である社会の絆を強化した。」
INDEX
ハウスレスでホームレスではなかったという。下「」引用。
「地震の発生時にも、またその後も現地にいたライターのメアリー・オースチンは、サンフランシスコ市民はハウスレスにはなったが、ホームレスにならなかったと書いている。「というのは、大多数のサンフランシスコ市民が、単に壁と家具だけではなく、ホームと呼ぶにふさわしい場所と精神を発見したからです。-略-」
野田など政治屋はホームレスでしょうね……。家族ごとホームレスかもしれませんね。他者への思いやりなど、まったくないのですから……。
ジャック・ロンドンいわく。下「」引用。
「信じられないかもしれいないが、市全体が崩壊し、轟音を立てて廃墟となった水曜の夜は、静かな夜だった。群衆はいなかった。叫び声を上げる人や、わめく人もいなかった。集団ヒステリーも、騒動も起きなかった。水曜の夜を、わたしは炎の道路の中で過ごしたが、あの凄まじく恐ろしい数時間に、泣いている女性は一人も見かけなかったし、興奮した男や、ほんのわずかなパニックに陥った人間も一人も見かけなかった。人々の間には完璧な礼儀が存在していた。サンフランシスコの全歴史の中で、あの恐怖の夜ほど人々が親切で礼儀正しかったことはない」
愛の練習。下「」引用。
「「そんな危機的な状況が続く中で、人々は互いを愛していた」。デイはそのことを一生忘れず、その先の長い生涯を、その愛の実現と恒久化に捧げた。それは貧しい人々のニーズに応え、より公正で寛大な社会を作るための実践力となる愛だ。地震の瞬間と、直後の社会の頑張りを体験した彼女は、これはを机上の空論的可能性としてではなく、実験済みの現実としてとらえることができた。」
「助け合いの連鎖」
「殺人」メキシコ・カトリーナ直後。下「」引用。
「白人が黒人に対して行った蛮行について、白人が語ったのだ。さらに、ジェレミー・スカヒルが『ネーション』誌に載せた、夜中に黒人非行グループにの発砲した民間警備会社に関する記事もある。ハリケーンのあとには、こういった民間警備会社が、正規軍とともに市を制圧した傭兵部隊の一部をなしていた。彼らが発砲したのは、先に発砲されたからだと述べたらしいが、傭兵たちは一人も撃たれていない。彼らは彼ら自身の言葉によると「うめき声や叫び声を」置き去りにした。陸軍の兵士がやって来てその傭兵を調べたが、そのときも、そのあとにも、怪我人の方を調べた者たちはいなかった。」
実状を伝えず、政治屋(原子力ムラ)に媚をうる「絆」を連呼した、ニセの連帯とは大きくことなりますね。ガス抜きの芸能人、原発文化人などにも気をつけてもらいたいものです。犯罪さえも隠蔽してしまうシステムをもっている。この凶暴な集団を無視することはできませんね。
好きなら、黒も白にかえてしまう。そんな芸能なんて、ありゃしませんよ。単なる“悪”です。
「絆」キャンペーンを、「言葉ファシズム」という人を否定などできませんよ、ボクは……。
index
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-なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか-』
レベッカ・ソルニット(著)/
高月園子(訳)/亜紀書房2012年
原書名 A paradise built in hell
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/4b/ae5dc5c531c15bd27a70f266670574c2.jpg)
帯に書かれてあります。下「」引用。
「不幸のどん底にありながら、人は困っている人に手を差し伸べる。人々は喜々として自分のやれることに精を出す。見ず知らずの人間に食事や寝場所を与える。知らぬ間に話し合いのフォーラムができる……。なぜその“楽園”が日常に生かされることはないのか?
大爆発、大地震、大洪水、巨大なテロ--
いつもそこにはユートピアが出現した
『ニューヨークタイムス』2009年度の注目すべき本に選出」
たゆまぬ努力を知らないサッチャー……。下「」引用。
「イギリス保守党のマーガレット・サッチャー元首相は「他に選択肢はない」とよく言っていたが、選択肢は必ずあり、それは、たゆまぬ努力でそれを育んだ場所だけでなく、最も意外な場所にも現れる。世界を変えるには、自分自身の救済を想像すればいいのであり、ユートピアに向かおうとする衝動は寛容なので、たとえ方向が誤っていたとしても、自分自身だけでなく他の人々をも救済する。そして、一種のユートピアは今もアルゼンチンに、メキシコに、インドに、アメリカに、ヨーロッパの無数の社会的経済的な実験や農業の新しい取り組みが出現している。-略-」
サッチャーというニセ政治家と同様のペテン師ばかりが目につく日本の国会。
権力が……。下「」引用。
「サンフランシスコは「自らを滅ぼした都市」と呼ばれたが、王が国ではないし、政府が国民ではないのと同じく、サンフランシスコを破壊したのは町でもその市民でもなかった。それは権力を握る少数の男たちと、大挙して押し寄せた州兵や兵士たちだった。彼らはただ火の手や、暴徒や泥棒--またはその予備軍としてくり返し描かれてきた群衆--から町を守っただけだと主張したが、建築物と貧困から成るその町の大部分を破壊しつくした。だが、市民の対処の仕方は違っていた。彼らは互いに助け合い、そもそも市の本質である社会の絆を強化した。」
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ハウスレスでホームレスではなかったという。下「」引用。
「地震の発生時にも、またその後も現地にいたライターのメアリー・オースチンは、サンフランシスコ市民はハウスレスにはなったが、ホームレスにならなかったと書いている。「というのは、大多数のサンフランシスコ市民が、単に壁と家具だけではなく、ホームと呼ぶにふさわしい場所と精神を発見したからです。-略-」
野田など政治屋はホームレスでしょうね……。家族ごとホームレスかもしれませんね。他者への思いやりなど、まったくないのですから……。
ジャック・ロンドンいわく。下「」引用。
「信じられないかもしれいないが、市全体が崩壊し、轟音を立てて廃墟となった水曜の夜は、静かな夜だった。群衆はいなかった。叫び声を上げる人や、わめく人もいなかった。集団ヒステリーも、騒動も起きなかった。水曜の夜を、わたしは炎の道路の中で過ごしたが、あの凄まじく恐ろしい数時間に、泣いている女性は一人も見かけなかったし、興奮した男や、ほんのわずかなパニックに陥った人間も一人も見かけなかった。人々の間には完璧な礼儀が存在していた。サンフランシスコの全歴史の中で、あの恐怖の夜ほど人々が親切で礼儀正しかったことはない」
愛の練習。下「」引用。
「「そんな危機的な状況が続く中で、人々は互いを愛していた」。デイはそのことを一生忘れず、その先の長い生涯を、その愛の実現と恒久化に捧げた。それは貧しい人々のニーズに応え、より公正で寛大な社会を作るための実践力となる愛だ。地震の瞬間と、直後の社会の頑張りを体験した彼女は、これはを机上の空論的可能性としてではなく、実験済みの現実としてとらえることができた。」
「助け合いの連鎖」
「殺人」メキシコ・カトリーナ直後。下「」引用。
「白人が黒人に対して行った蛮行について、白人が語ったのだ。さらに、ジェレミー・スカヒルが『ネーション』誌に載せた、夜中に黒人非行グループにの発砲した民間警備会社に関する記事もある。ハリケーンのあとには、こういった民間警備会社が、正規軍とともに市を制圧した傭兵部隊の一部をなしていた。彼らが発砲したのは、先に発砲されたからだと述べたらしいが、傭兵たちは一人も撃たれていない。彼らは彼ら自身の言葉によると「うめき声や叫び声を」置き去りにした。陸軍の兵士がやって来てその傭兵を調べたが、そのときも、そのあとにも、怪我人の方を調べた者たちはいなかった。」
実状を伝えず、政治屋(原子力ムラ)に媚をうる「絆」を連呼した、ニセの連帯とは大きくことなりますね。ガス抜きの芸能人、原発文化人などにも気をつけてもらいたいものです。犯罪さえも隠蔽してしまうシステムをもっている。この凶暴な集団を無視することはできませんね。
好きなら、黒も白にかえてしまう。そんな芸能なんて、ありゃしませんよ。単なる“悪”です。
「絆」キャンペーンを、「言葉ファシズム」という人を否定などできませんよ、ボクは……。
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