磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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きのこ雲の証言 ●ビキニの叫び

2008年05月18日 | 読書日記など
『きのこ雲の証言 ●ビキニの叫び』
   土井全二郎・著/新国民出版社1975年

その後を追った朝日新聞記者のレポートだと思います。



この本について。下「」引用。

「取材結果は、その都度、一般記事として朝日新聞に送りましたが、全体をまとめたものは、連載物「ビキニ」として四十九年七月十日から八回に分けて朝日新聞夕刊に連載されました。地方は朝刊に三回。
 本書はこの連載物を骨子として、これに大幅に加筆、補正したものです。」

どうして、核実験が「人類の福祉と平和」につうじるのだろう? 下「」引用。

「米国は同水域内(ミクロネシア)マーシャル諸島のビキニ環礁で一連の核実験を始めていた。日本にかわってやってきた新しい支配者によって、ビキニの住民たちは住みなれた祖先の島々を追いだされた。記録によれば、彼らは彼らのふるさとが、このとき使われるかも知らず、米国のいう「人類の福祉と平和」を素直に信じた。人のよい彼らはその結果、不毛の土地・キリー島に“隔離”され、今日にいたっている。(「朝日ジャーナル」一九七二年九月二十九日号、「米軍基地化進むミクロネシア」から)」

いまでも、アメリカのファシズムは人類をあざむいているとしかボクには思えない。


--著者はビキニ環礁に行こうとするが、ビザがなかなかおりない。下「」引用。

「なかなか“許可”が出されない背景には次のような事情が潜んでいるように思われた。
 ビキニ環礁は、核実験の地として、長い間、秘密のヴェールに包まれていた。アメリカ海軍が長いあいだ厳重に管理し、部外者の立ち入りはもってのほか、であった。」

外洋に汚染物質は棄てられたという。下「」引用。

「勧告の第二にあった「金属片の除去」についても、それが徹底的に行われたことが、わたしがビキニ島を歩いてみて分かった。それまでは二十一年の原爆実験で使った標的艦のスクラップをはじめ、その後の水爆実験のための鉄塔、実験器材らが散乱しているといわれるが、それらはすでになかった。また実験施設であるコンクリート建造物からも窓ワク、トビラ類までほとんどの金属は取り外されていた。この徹底的な除去作業は、放射性物質のコバルト60が付着しているのをおそれたためだった。コバルト60は半減期五年といわれるが、つづけざまに行われた核実験で蓄積された心配があった。これらスクラップは外用に運ばれ海中深く沈められた、と記録にある。」

帰島願うが、かなわず……。下「」引用。

「なおも、「ビキニ帰島」を願うかれらの主張に、当局もビキニ環礁での放射能量の測定をしたが、とても人間の居住に耐えられるものではなかった。「少なくともあと三十年は人間は住めない」というのが結論だった。」

キリスト教が文化の破壊をしたと考えられるのではないか……。下「」引用。

「しかし、現代のマーシャルの人たちの間には、キリストの教えは深く根づき、かつての信仰が「野バンなもの」」として排されて久しい。
 いま、旧ビキニ島民たちも敬けんな表情でもって、教会に集まっている。島民出身の牧師が先導して、長い祈りの文句を唱え、神への讃美歌を唱和している。当然のことかも知れないが、これらの人びとから、古い信仰のハナシはついに聞くことが出来なかった。」

日本にも、脱亜入欧ということで、排仏毀釈がおこったという……。
岡倉天心フェノロサがそれを救ったという。

ビキニを知らない子どもたち……。下「」引用。

「モーゼス君はロンゲリック生まれ、「ビキニを知らない世代」に属している。」

当時、フランスの核実験は続いたという。下「」引用。

「それは南太平洋・ムルロア環礁で、今日なおフランスによって強行されている核実験の「実行理由」が、かつてのアメリカの強弁とまったくそっくりだからである。
 フランスの政府の「核実験白書」(四十八年八月)は、「実験の無害なこと」を強調する。」











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