『一郎』
林芳郎・著/東和社1951年
わが子を広島の原爆で失った父が書かれた本です。息子・一郎ちゃんの日記もあります。そして、その母の日記も掲載されていました。
これは、原爆前からわかっていたことだと思います。下「」引用。
「カトリック・ダイジェストという雑誌があるが、その今年の五月号にの冒頭に、「原爆の子供達」という記事がある。これはLIFEというアメリカ誌からの転載記事であり、その記事の出所はおそらく広島宇品に所在するAtomic bomb casuality commission(原子爆弾影響調査委員会--略称ABCC)だと思われるが、その中に、原爆放射能が人体に与える重要な影響の一つとして、或る種の血液疾患を起すことは殆ど間違いないであろうということが報ぜられている。」
index
放射線障害は原爆以外でもありますから……。
そして、いい医療もなかったようです。下「」引用。
「私の長男が被爆した同じ町内でも、ここ両三年来全く病名が判らないままに、(死後恐らくは適当に町医者によって消化不良とか腸炎とかの病名を附せられて)死んでいった十歳と三歳の幼児の話や、至極頑健な十七歳の中学生が被爆後しばらくして四○度以上の発熱と共に来た肛門部の腫れ物に悩んだ(今は元気な大学生である)という話や、一昨年(被爆後満三年に当る)突然発病し健在は幸い恢復しているが、一年間もの間骨と皮とに痩せさらばえて而もなお病名判らず、町医者を変えるたびに寄生虫だとか肝臓病だとか、その診断が区々であったという四十何歳の婦人の実験談がある。」
本を読んでいると、西武線沿線に住まわれているようです。
■目次■
幼い芽 3
はじめに 19
九月 31
十月 93
十一月 139
あとがき 237
装幀 岡村夫二
非常に内気な児であったという……。下「」引用。
「私も妻も、その性格は決して外向的であるとはいえない。その両親の性格をそのまま重ねて享けたのであろう。内気だから、小心で又無類のはにかみやであった。近所の少年達の仲間入りをするということは、容易なことではなかった。私は、ついに一度も、一郎が近所の少年達の仲間に入って一緒に遊んびくるっている姿に接することはなかった。しかし、内心では一緒に遊びたいという気持は充分に持っていたにちがいない。」
つらい病気をもっていたら、自然とそうなるかもしれまんね……。
神様と祈ったそうです……。下「」引用。
「それには妻の筆蹟で鉛筆の走り書きであった。
一郎が 神様に
おいのりしています
私は一瞬、背筋がぞっと寒くなるように感じて急にはっきり醒めた。そして、一郎のすすり泣きと聞こえた声は、神様に祈る可憐な声であることに気が付いた。」
被爆したのは、疎開していた時だという。下「」引用。
「やがて私も再応召して妻と一郎に別れた。二人は広島へ疎開した。広島に原子爆弾が炸裂した。私は部隊のあった湘南の地から五日目に広島へ馳けつけた。崩れ落ちた家の一隅に妻の母が白木の小箱に入っていた。一郎はそれを指さして「オバアチャンソコニイル」と私に愛嬌をふりまいた。」
白血病でなくなった一郎ちゃん。
--そして、病理解剖を承諾した両親……。下「」引用。
「I博士を通じて、K病院関係者たちの間から、病理の系統的な解明のため解剖を許して頂けまいか、という申出があった。私も妻も何の思い惑うところもなく直ちに応諾した。」
index
Index
林芳郎・著/東和社1951年
わが子を広島の原爆で失った父が書かれた本です。息子・一郎ちゃんの日記もあります。そして、その母の日記も掲載されていました。
これは、原爆前からわかっていたことだと思います。下「」引用。
「カトリック・ダイジェストという雑誌があるが、その今年の五月号にの冒頭に、「原爆の子供達」という記事がある。これはLIFEというアメリカ誌からの転載記事であり、その記事の出所はおそらく広島宇品に所在するAtomic bomb casuality commission(原子爆弾影響調査委員会--略称ABCC)だと思われるが、その中に、原爆放射能が人体に与える重要な影響の一つとして、或る種の血液疾患を起すことは殆ど間違いないであろうということが報ぜられている。」
index
放射線障害は原爆以外でもありますから……。
そして、いい医療もなかったようです。下「」引用。
「私の長男が被爆した同じ町内でも、ここ両三年来全く病名が判らないままに、(死後恐らくは適当に町医者によって消化不良とか腸炎とかの病名を附せられて)死んでいった十歳と三歳の幼児の話や、至極頑健な十七歳の中学生が被爆後しばらくして四○度以上の発熱と共に来た肛門部の腫れ物に悩んだ(今は元気な大学生である)という話や、一昨年(被爆後満三年に当る)突然発病し健在は幸い恢復しているが、一年間もの間骨と皮とに痩せさらばえて而もなお病名判らず、町医者を変えるたびに寄生虫だとか肝臓病だとか、その診断が区々であったという四十何歳の婦人の実験談がある。」
本を読んでいると、西武線沿線に住まわれているようです。
■目次■
幼い芽 3
はじめに 19
九月 31
十月 93
十一月 139
あとがき 237
装幀 岡村夫二
非常に内気な児であったという……。下「」引用。
「私も妻も、その性格は決して外向的であるとはいえない。その両親の性格をそのまま重ねて享けたのであろう。内気だから、小心で又無類のはにかみやであった。近所の少年達の仲間入りをするということは、容易なことではなかった。私は、ついに一度も、一郎が近所の少年達の仲間に入って一緒に遊んびくるっている姿に接することはなかった。しかし、内心では一緒に遊びたいという気持は充分に持っていたにちがいない。」
つらい病気をもっていたら、自然とそうなるかもしれまんね……。
神様と祈ったそうです……。下「」引用。
「それには妻の筆蹟で鉛筆の走り書きであった。
一郎が 神様に
おいのりしています
私は一瞬、背筋がぞっと寒くなるように感じて急にはっきり醒めた。そして、一郎のすすり泣きと聞こえた声は、神様に祈る可憐な声であることに気が付いた。」
被爆したのは、疎開していた時だという。下「」引用。
「やがて私も再応召して妻と一郎に別れた。二人は広島へ疎開した。広島に原子爆弾が炸裂した。私は部隊のあった湘南の地から五日目に広島へ馳けつけた。崩れ落ちた家の一隅に妻の母が白木の小箱に入っていた。一郎はそれを指さして「オバアチャンソコニイル」と私に愛嬌をふりまいた。」
白血病でなくなった一郎ちゃん。
--そして、病理解剖を承諾した両親……。下「」引用。
「I博士を通じて、K病院関係者たちの間から、病理の系統的な解明のため解剖を許して頂けまいか、という申出があった。私も妻も何の思い惑うところもなく直ちに応諾した。」
index
Index