磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆児童文学集2 浜ひるがおの花が咲く

2006年04月10日 | 読書日記など
『原爆児童文学集2 浜ひるがおの花が咲く』
   おおえひで・作/四国五郎・絵/汐文社1985年

宣伝で、この本のことが書かれてある。下「」引用。

「長崎で船大工をしている仙三じいさんは、ある日、ふしぎな少年にめぐりあいます。おじいさんの被爆体験をつづる佳編」



この本を読んで思うのは、
もっと方言を使用してもよかったのではと
思いました。

そうしていると、
僕が受けた国語の授業を思い出しました。
京都市内の学校では標準語(共通語)で
作文を書くように指導を受けました。

南山城に引越して、I先生は、
「標準語のような感情のこもらない言葉ではなく、
方言で、ふだん使っている言葉で作文を書きなさい」
と話されました。

僕はI先生の方が好きでした。
自分の書いた標準語の作文って、
嘘くさい気がしてきたし、
格好つけていて、感じが悪いように思えた。

しかし、担任がかわると、
「きれいな日本語を使用しなさい」
と、指導を受けました。

どうも、僕はそのころから、
きれいな日本語が嫌いです。
僕自身の言葉の方が大切に
思えたからです。

でも、深町真理子さんの
きれいな日本語のファンでもあります。
たぶん、僕が書くと嘘くさいだけのことですね……。

少年の言葉。方言が美しいです。下「」引用。

「だって、おじいちゃん、おばあちゃん。ぼく、とうちゃんと、二度とあうことは、できんとだよ。とうちゃんがどんなに、ひどく焼けこげておっても、ぼくはいいよ。あいたかもん。ぼくの目のなかに、しるしておきたかと。」

児童文学の場合、会話文は比較的方言が
許された時代だと思います。
地の文(会話文以外)は、標準語で、
美しい日本語と指導される方もおられました。

僕は地もどうせ自分が書いているから、
方言を入れたいと思うんですけど……。
景色も感情で見ている時もあると思うんです。
そんな時には方言もいいのではないか?
と思うんです。




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