磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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大島渚著作集 第2巻 敗者は映像をもたず

2011年02月23日 | 読書日記など
『大島渚著作集 第2巻 敗者は映像をもたず』
   大島渚・著/四方田犬彦、平沢剛・編/
     現代思潮新社2008年

原爆の話も書かれてありましたよ。
大島さんもがんばっておられましたね。
大手メディアでは、このような人も見かけなくなりましたね。



「『松川事件』とその周辺の問題」 下「」引用。

「はじめ、映画『松川事件』の細密な検討・批判をするつもりでこの原稿をひきうけた。しかし観た映画は、私には、細密な検討・批判を必要しない位はっきりと否定的な作品に思われた。それで私はこの原稿を書くことをためらっていた。
 そこへ『松川事件』を配給する筈であった新東宝が、それを中止するという事実が起こった。-略-そして独立プロ運動・自主製作上映運動の新しい発展なしに日本映画の本格的な前進もまたありえないであろう。私は『松川事件』とその周辺の問題について、こうした観点から考えてみたいと思う。-略-」

無責任なテレビ人。下「」引用。

「しかし政府による免許制度によって統制されざるを得ないテレビにおいては、よほど事態の進行にたいして批判的な主体を確立しつづけない限り、直ちに流されて無責任となることは自明の理なのである。-略-当今の若いディレクターの中にはその苦闘の伝統を継ごうとせず、むしろ無責任であることを一つの良き態度、新しい方法であるなどと考える低劣極まりない人種が出現するに至ったのである。」

【ドキュメンタリー】『忘れられた皇軍』。下「」引用。

「私が脚本を書き、演出をした、ドキュメンタリー『忘れられた皇軍』(NTV38年8月16日)は、私にとって今年一年でもっとも意義深い仕事になってしまった。-略-」

「映像と現実のバングラデシュ」
--中川富宏がバングラデシュで殺されたという。

慈善『バングラデシュのコンサート』 下「」引用。

「-略-ここで私は、ヨーロッパ・アメリカのある種の白人種の慈善感覚というものは、ある意味で本物であるということだけははっきり言っておきたい。」

【映画】『自由への九ヵ月』 下「」引用。

「何が虐殺を呼び起こし、何が虐殺わくいとめたかということがはっきりしないのである。私はバングラデシュには、パキスタン軍の虐殺を呼びおこすような力があったことねまた、それをある段階でくいとめる力があったということ、そのことがすべて根元であったということを言いたい。-略-」

見なくてよかった【映画】『バングラデシュ--虐殺の九ヵ月」 下「」引用。

「君(*中川富宏)は誤ったインフォメーションに毒されることなく、自分の肌でバングラデシュの大地に触れたはずだ。」

独立……。下「」引用。

「パキスタン軍の虐殺が、バングラデシュの始まりだなんて、誰がそんな馬鹿げた嘘を言えるのか。それと同じように、あの夜、ソニーのトランジスターを通じて流れた地下政府の独立宣言から、バングラデシュが始まったというのも、また虚妄である。
 バングラデシュはもっともっと以前からあった。-略-」

目次

「日本映画の描いた戦争 “ドキュ=ドラマ・ヒロシマ”」 下「」引用。

「-略-“ドキュ=ドラマ”(これはその監督が使った言葉ですが)として描き、原爆投下の五十周年になる今年の八月六日にアメリカではケーブル・テレビで、そして世界各地でテレビあるいは映画館で同時に情意するということでした。
 そして彼がいうには、この企画の最も困難な問題のひとつはアメリカと日本という二つの異なる国の文化の違いを同じような理解を持って描くということであって、そのために二人の監督がそれぞの側で描くのが良いと思う、ついては私に日本の側の監督を引き受けてくれないか、というのでした。-略-」

湾岸戦争。下「」引用。

「私は湾岸戦争の時テレビで「これはブッシュの、ブッシュによる、ブッシュのための戦争だ、なぜ日本が巨額の金を提供する必要があるのか」と言って轟々たる非難をあびました。」

京大「原爆展」。 下「」引用。

「私が京都大学に入った一九五○年、それは原爆が落ちて五年目で、朝鮮戦争が始まった年でしたが、その京大の理学部と医学部の学生が中心となって日本ではじめての「原爆展」を開きました。私は直接にはかかわっていませんでしたが、学生運動に加わっていましたので、その催しには精神的に深く関与していました。それはまず大学内で展示され、次に京都市内のデパートで市民に見せられ、さらに占領軍や日本の警察のさまざまな妨害にあいながら日本の全国各都市で展示されました。
 日本人も日本人全部が原爆投下直後から原爆についてよく知っていたのではないのです。投下直後に撮られたフィルムはアメリカに持ち去られ、新聞や雑誌には検閲があって、あまりの惨状を示す写真は掲載されませんでした。交通事情も最悪で広島や長崎を直接訪れる余裕もありませんでした。そんな中で京都大学の学生の手による「原爆展」は大きな役割を果たしたのでした。」

Index

他の民族と「残虐」。下「」引用。

「私は人が何を残虐と感じるかは、その人の立場によりそれぞれ異なるのだと思います。そして原則として、自分と同じ民族あるいは国民の行う「残虐」よりは、他の民族や国民の行う「残虐」の方をより「残虐」だと感じるものだと思います。」




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