磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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韓国公害レポート-原発から労災まで-

2012年05月12日 | 読書日記など
『韓国公害レポート-原発から労災まで-』
   仁科健一、野田京美・著/新幹社1989年

韓国の反原発運動。下「」引用。

「一九八八年十一月に徐さんたちが交流に訪ねてこられたときに、仁科さんと初めてお会いしました。そして、翌年二月号の『反原発新聞』で、韓国の反原発運動の初報道をしていただいたのである。私たちにとってはもちろんだが、韓国の反原発運動の動きは、世界中の反原発・脱原発の運動からひとかたならず注目されている。私は『NUKE INFO TOKYO』という英文のニューズレターの発行にも関与しているが、ほんらい日本の原子力事情を海外に伝えるために発刊した同紙が、徐さんたちの運動をひろく紹介しているのも、そのためだ。-略-」



社員と労働者被曝。下「」引用。

「労働者被曝については、一概に比較するのが難しい。日本の場合、一年間に約五万人が原発で放射線下の労働をしており、電力会社の社員は、その一割くらいである。被曝線量でいうと、社員が浴びている量は四%にもならない。」

韓国でもアメリカの売り込み。下「」引用。

「韓国で原発が次々と作られているのも、自国内で反原発運動が高まっているアメリカが、外国に売り込み先を求めているからだと思われますね。韓国では、軍事独裁政権が米国の利益を代弁しているので、米国のいいなりに原発建設を進めることができるでしょう。それにマスコミが統制されていますから、一般市民が核兵器や原発の恐ろしさを知ることはできません。
 しばらく前にはこんなこともありました。エネルギー研究所が放射性物質をたれ流していたというんです。これは当時も全然わからなかったんですが、エネルギー研究所が大徳(テドク)に移転してから明らかになりました。それでも政府は「危険な状態ではない」というんですから、あきれた話でしょう。」

糞尿ビン、反原発デモ。下「」引用。

「一九八八年十二月五日、韓国の原発地帯三カ所で反原発デモが行なわれた。全羅南道霊光、慶尚南道古里、慶尚北道月城での同時行動である。原発が動き出してから一○年、韓国ではかつてないできこどであった。
 -略-孫の手を引くおばあさんや、赤ん坊をおぶった村の若いヨメも、ハチマキをしめスローガンを叫んでいる。
「わらはな、八代のご先祖様から二○○年もここに住んどるんだ。おまえらは、いつかんここに来て人の邪魔をするんじゃ」
 糞尿を入れたビン数十本を投じて、住民たちはす対抗した。-略-」

「原発のかくされた事故たち」 下「」引用。

「原発の事故が常にかくされようとするのは、私たちが日本で見るとおりである。これは韓国でも同様だ。一九八七年現在、原子力は韓国の発電量のうち五三・一%を占めているが、それだけの位置を占めながら原発の安全問題は民衆の目に見えないようにされてきた。-略-」

べクテル……。下「」引用。

「ベクテルは古里一、二号機、月城一号機といずれも受注をのがした。巻き返しのため、ベクテルは青瓦代に強い人脈を持つという韓国系アメリカ人ヨンシク・チョをコンサルタントとして雇った。年棒九万ドルのほか六万ドルの必用経費を認めるという契約だった。
 チョのおかけで、べクテルは大韓エンジニアリングとの合弁成立にこぎつけるとともに、莫大なカネとモノをつぎ込んだ。韓国に入国するベクテルの社員は、新しいゴルフのクラブやテレビ・ビデオ・冷蔵庫の高級品はアメリカから持ち込んだが、こうしたものは港からチョの家に運ばれ、そこからどこかの高官にみつがれたという。また、チョは週一回くらいのペースで、ベクテルのソウル駐在社員に現金を要求した。ベクテルの社員はバンク・オブ・アメリカのソウル支店で小切手を現金にかえては、チョに届けた。チョの運転手の一人は、韓電の子会社の韓国原子力機械の副社長あてに四○○ドル程度の金を数回届けたと告白した。-略-」

WHかCEか……。下「」引用。

「霊光三、四号機がコンバッション・エンジニアリング(CE)に発注されたことも大きな物議をかもした。従来、原子炉系統についてウェスティング・ハウス(WH)に圧倒的に依存してきた韓国が、ここにて突然CE社をとったのはなぜか。韓弼淳(ハンビルスン)エネルギー研究所長は、WH社が技術を韓国人技術者に教えようとしないので、その点について原子炉共同設計に積極的なCE社をとった、と釈明する。だが、CE社は海外での発注経験が乏しいなどの理由で、台湾が一度導入を決定しながら撤回したこともあるいわくつきの会社だ。おまけに韓電が求めたのは一○○万キロワットの設備だが、CEは八五万と一三○万キロワットは作ったことがあっても一○○万キロワットは未経験だという。」

パンフレット。下「」引用。

「公追パンフレット『この地の反核運動』で、次のように述べている。
「原発もたま、当初の米国の原爆生産という軍需産業の道具として生れた。現在の原子力発電技術は、本質的に『軍需産業の技術』であって、決して『平和時代の技術』ではない……、『潜在的な核爆弾』である核発電所を認めるようなや核兵器反対などありえないし、核兵器の存在を認める核発電所反対もありえないことを、明らかにしなければならない」
 韓国民衆は在韓米軍の持ち込んだ核兵器と背中合わせに生きている。反核・平和の声が高まるとともに、反原発の声もより大きくなるにちがいない。」

「温山病」 下「」引用。

「最初の報道は一九八五年一月十八日付『韓国日報』で、「温山地区住民五○○人にイタイイタイ病の症状」と社会面トップが報じられた。」

「公害輸出」 下「」引用。

「この事件も公害輸出のひとつといえよう。すでに七○年代から、日本の産業界の韓国に対する公害輸出はいわれてきた。日本における公害反対運動の高まりとともに、操業のむずかしくなつた企業は工場を韓国や東南アジアに移転した。-略-」








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