『朝日選書200 暴力と平和』
坂本義和・編/朝日新聞社1982年
この本の意図するところは、現在の方がより理解できるのではないか?
--構造的暴力をつくりあげることにより、巨万の富を得たグローバル企業……。
彼等の多くは一般でいう平和を愛させない人たちでもある……。
--彼らの平和は『パックス・エコノミカ』、経済のための平和であるという……。
『パックス・ローマナ』、ローマのための平和が、他国の戦争の種であったように、他者への戦争(あるいはテロ)の種となっているのでは……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a7/82d50b0a94ac53765446a9525170f4ab.jpg)
この本の問題意識……。下「」引用。
「こうした直接的暴力との存在を指摘し、そのそれぞれを究明してきたことは、平和研究の大きな貢献であるといってよい。ただ、直接的暴力とが、どのように関連し、結びついているかという点については、まだ十分な解明がなされていない。そこで、この点に分析の光を当てるということ、またその焦点に日本を置いて考えること、それがこの本を貫く問題意識である。」
■目 次■
まえがき
I 平和とは何か
暴力としての開発 イバン・イリッチ 4
II 東南アジアと日本
経済開発と強権政治 ハーバート・フィース 28
軍事化するASEAN リチャード・タンター 57
多国籍企業の経済支配--タイの場合
スティ・プラサート 87
多国籍企業と農民--フィリピンの場合
ランドルフ・ダビッド 105
下からの開発--立ちあがる女たち
エリメリーナ・モンデハール 136
日本の軍事化 仲村研一、他 155
III 平和への選択
核状況のカナリア理論 大江健三郎 214
日本の選択 坂本義和 237
パックス・エコノミカの化けの皮をひきはがせ! 下「」引用。
「この新しい種類の平和は、あらゆる人々を一つの社会的組織に組み込んでしまおうとする性質をもっている。ここでその組織化の目標になっているのは、あらゆる人間が一つのユートピア建設になるべく尽力できるような状態をつくるということにある。そしてそのユートピアたるや、人間は何よりも経済的動機によって動くものであり、また人間はすべて同じものであり個性などないという人間観に基づいて組み立てられたものなのである。してみれば、この新しい種類の平和の正体は、暴力をおおいかくす隠れ蓑(みの)いがいの何物でもない。パックス・エコノミカという隠れ蓑をひきはがし、その下に隠れている新しい形の暴力の姿を白日のもとにさらすことこそ、現在の平和研究が主要な課題として取り組むべき仕事なのではないだろうか。」
しかし、日本のマスコミも世界のほとんどのマスコミも、そのものが「パックス・エコノミカ」である。
そして、それは環境破壊も……。下「」引用。
「パックス・エコノミカにはまた、環境に対する暴力という側面もある。すなわち、環境を商品の生産に必要な資源、ないしは商品の流通に必要な空間と見なすことによって、環境からの収奪に正当性を与えている。かくてパックス・エコノミカは必然的に、物理的・社会的・文化的側面にわたる環境の破壊をもたらし、環境がサブシステンスをはぐくむことができないようにしてしまう。それゆえにこそ、パックス・エコノミカは民衆の平和にとって、なみなみならぬ敵といえるのである。」
人々の食糧を奪ってでも、バイオエネルギーなどあきれたものである……。
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坂本義和・編/朝日新聞社1982年
この本の意図するところは、現在の方がより理解できるのではないか?
--構造的暴力をつくりあげることにより、巨万の富を得たグローバル企業……。
彼等の多くは一般でいう平和を愛させない人たちでもある……。
--彼らの平和は『パックス・エコノミカ』、経済のための平和であるという……。
『パックス・ローマナ』、ローマのための平和が、他国の戦争の種であったように、他者への戦争(あるいはテロ)の種となっているのでは……。
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この本の問題意識……。下「」引用。
「こうした直接的暴力との存在を指摘し、そのそれぞれを究明してきたことは、平和研究の大きな貢献であるといってよい。ただ、直接的暴力とが、どのように関連し、結びついているかという点については、まだ十分な解明がなされていない。そこで、この点に分析の光を当てるということ、またその焦点に日本を置いて考えること、それがこの本を貫く問題意識である。」
■目 次■
まえがき
I 平和とは何か
暴力としての開発 イバン・イリッチ 4
II 東南アジアと日本
経済開発と強権政治 ハーバート・フィース 28
軍事化するASEAN リチャード・タンター 57
多国籍企業の経済支配--タイの場合
スティ・プラサート 87
多国籍企業と農民--フィリピンの場合
ランドルフ・ダビッド 105
下からの開発--立ちあがる女たち
エリメリーナ・モンデハール 136
日本の軍事化 仲村研一、他 155
III 平和への選択
核状況のカナリア理論 大江健三郎 214
日本の選択 坂本義和 237
パックス・エコノミカの化けの皮をひきはがせ! 下「」引用。
「この新しい種類の平和は、あらゆる人々を一つの社会的組織に組み込んでしまおうとする性質をもっている。ここでその組織化の目標になっているのは、あらゆる人間が一つのユートピア建設になるべく尽力できるような状態をつくるということにある。そしてそのユートピアたるや、人間は何よりも経済的動機によって動くものであり、また人間はすべて同じものであり個性などないという人間観に基づいて組み立てられたものなのである。してみれば、この新しい種類の平和の正体は、暴力をおおいかくす隠れ蓑(みの)いがいの何物でもない。パックス・エコノミカという隠れ蓑をひきはがし、その下に隠れている新しい形の暴力の姿を白日のもとにさらすことこそ、現在の平和研究が主要な課題として取り組むべき仕事なのではないだろうか。」
しかし、日本のマスコミも世界のほとんどのマスコミも、そのものが「パックス・エコノミカ」である。
そして、それは環境破壊も……。下「」引用。
「パックス・エコノミカにはまた、環境に対する暴力という側面もある。すなわち、環境を商品の生産に必要な資源、ないしは商品の流通に必要な空間と見なすことによって、環境からの収奪に正当性を与えている。かくてパックス・エコノミカは必然的に、物理的・社会的・文化的側面にわたる環境の破壊をもたらし、環境がサブシステンスをはぐくむことができないようにしてしまう。それゆえにこそ、パックス・エコノミカは民衆の平和にとって、なみなみならぬ敵といえるのである。」
人々の食糧を奪ってでも、バイオエネルギーなどあきれたものである……。
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